善導寺へ清水左京亮きしん下地之事
合八百五十文め
坪石とう三百文め
同三ツ池五百五十文め
代末本そんへきしんいたし候、然者無ゑん所之儀之事候間、落居申事候ハゝ可如何有候と子細被申候、若何時清水左京亮前相違之儀候ハゝ従此方之きしんたるへく候、仍為後日一筆如件
天文廿壱年壬子三月八日
信元朱印
善導寺へ
→新編東浦町誌「水野信元判物」
善導寺に清水左京亮が寄進した土地について。『石とう』の地所300文、『三ツ池』の地所150文、合計850文。寄進いたしました。無縁(アジール)の場所なので、失うことがあるようなら伺いを立て、詳細を申し出るようにして下さい。もし清水左京亮に手違いがあるようでしたら、こちらから寄進するようにします。後日のため、このように一筆したためました。
判物
小垣江蔵屋敷之事、明眼寺為寺中 永代奉寄進候、不入ニ申合候間、諸役并陣取狼藉之儀不可有之者也、仍為後日寄進之状如件
天文拾四年乙巳三月十五日
水野藤九郎
守忠(花押)
明眼寺
参
→新編東浦町誌「水野藤九郎守忠寄進状」(妙源寺所蔵)
小垣江の蔵屋敷の件ですが、明眼寺の領域内として、永代寄進いたします。不入の地となりますので、諸々の徴収や駐屯・乱暴は認めません。後日のため、寄進状をこのように発行します。
妙源寺は真宗高田派。鎌倉街道近くの桑子(岡崎市大和町)にある。
寄進状
先度以後可申通覚悟候処、尾州当国執相ニ付而、通路依不合期、無其義候、御理瓦礫軒・安心迄申入候、参着候哉、仍一昨日辰刻、次郎・朝倉太郎左衛門・尾州織田衆上下具足数二万五六千、惣手一同至城下手遣仕候、此雖無人候、罷出及一戦、織田弾正忠手へ切懸、数刻相戦、数百人討捕候、頸注文進候、此外敗北之軍兵、木曽川へ二三千溺候、織弾六七人召具罷退候、近年之躰、御国ニ又人もなき様ニ相働候条、決戦負候、年来之本懐此節候、随而此砌、松三へ被仰談、御国被相固尤存候、尚礫軒演説候、可得御意候、恐惶謹言、
九月廿五日
長井久兵衛
秀元
水野十郎左衛門殿
→新編東浦町誌「長井久兵衛書状」
ご連絡しようと考えていましたが、尾張国とこの国で戦闘があったため、通信がうまくいきませんでした。瓦礫軒と安心軒に説明を頼みました。到着しましたでしょうか。さて一昨日辰の刻、次郎と朝倉太郎左衛門、尾張国の織田軍、将官から兵士まで2万5~6000人が城下に一斉来襲しました。こちらは寡兵でしたが出撃し、織田弾正忠の部隊へ切りかかりました。数刻戦闘して、数百人を討ち取りました。その首級リストをお送りします。このほか敗兵は木曽川で2~3000人が溺れて、織田弾正忠は6~7人に守られて退却しています。ここ数年は、あなたの国へも傍若無人に荒らしまわっていたのに決戦に負けました。年来の本懐はこの時果たしました。このような折、『松三』(松平三蔵?)へお話いただき、あなたの国をしっかり固めるのが大切です。さらに瓦礫軒が申し上げるでしょう。お心に添いますように。
書状
今度依大夫殿自身御合力、■■■祝着候、殊長陣労功無是非候、猶三浦惣右衛門尉可申候、恐々謹言、
十一月十九日
義元(花押)
水上殿
→静岡県史「今川義元書状写」(駿河志料巻八十一旧新宮神主文書)
今度は大夫殿ご自身がご助力されているとのこと(空白)素晴らしいことと思います。長期の臨戦態勢の苦労と功績は是非もないことです。なお三浦惣右衛門尉が申し上げます。
書状写
年次を欠いているものの、恐らく1560(永禄3)年と思われる朝比奈親徳書状が5月19日合戦の模様を断片的に語っている。
同文書によると、以下の事柄が判る。
- 合戦当時、朝比奈親徳は鉄砲によって負傷していた。
- 負傷が原因で、今川義元が敗死した現場に居合わせなかった。
- 生き長らえたことを不面目と考えていた。
- 文書発行時三河国に駐屯しており、駿河帰国の目処は立っていない。
山科言継の日記によると、朝比奈丹波守親徳は駿河に在住する朝比奈氏。掛川を拠点に遠江国を担当する朝比奈氏とは別系統のようだ。この書状で痛切に書いているように、丹波守は義元の敗死に責任を感じていたと思われる。負傷しながらも、敗戦で混乱する三河から帰国せず事態の収拾を図ろうとしたのだろう。5月19日合戦から2ヶ月経過していることから、一度は帰還した可能性もあるものの、妙本寺への対応が遅れていたことから考えてずっと前線にいたのではないか。久遠寺の継承者問題があるのに、遠方から指示するに留まっている。帰るに帰れなかったか。この文書以降彼は歴史上から姿を消すことから、織田氏か松平氏との抗争で落命した可能性が高い。
親徳が5月19日当日に負傷したのか、その前の何らかの戦闘で負傷したのかは判らない。何れにせよ、5月19日とそう離れていない日時に負傷したのではないか。何故なら、負傷して義元敗死に居合わせなかったという文章には「負傷していなければ義元本陣にいるべき任務だった」というニュアンスがある。義元本陣に最後まで付き添っていたのは松井宗信である。松井隊は撤収専門部隊(参照:検証a04)だから、本陣を精鋭部隊で警固していた。そして義元本陣の主力戦闘部隊を率いていたのが朝比奈親徳隊ではないか。その彼が負傷して後退していたということは、義元本陣は複数回攻撃されていたことになる。義元が敗死する戦闘の前に、朝比奈親徳隊は深刻な打撃を受けていた。そして、義元本陣と松井隊は、主力とは別行動をとることとなった。このように解釈すると、より自然に各書状が理解できるだろう。
推測に過ぎないが、玉砕覚悟で敵襲を引き受けた朝比奈親徳隊から離脱して、松井隊と義元本陣は後退したのかも知れない。だが、別の敵襲があった。そしてそれは、今川軍の誰にも予想できない展開だった。正面の敵を食い止めた朝比奈親徳は、後に義元討死を聞いて愕然としたことだろう。
禁制
東竜寺
一、軍勢・甲乙人等、濫妨・狼藉之事、
一、於境内殺生並寺家・門外竹木伐採、令借宿事、
一、祠堂物、買徳・寄進田地、雖為本人子孫違乱事、
一、准総寺庵、引得之地、門前棟別・人夫諸役等相懸、入鑓責使事、
一、於国中渡・諸役所之事、
右当寺依為無縁所、諸役等令免許(己+十)、若於違犯之輩者、速可処厳科者也、仍制旨如件、
御判
永禄三年十二月日
東竜寺
→織田信長文書の研究「尾張東竜寺宛禁制案」
東竜寺で、以下の事柄を行なわないように。
一、侍でも侍以下の身分の者でも、暴力行為を行なうこと。
一、境内で殺生したり、寺院関係者の竹・木を伐採したり、宿泊したりすること。
一、寺院運営の金融物件や不動産を侵害すること(本人の子孫だとしても)。
一、総寺庵に準じて、土地を横領したり課税したり作業を命じたり査察を入れたりすること。
一、国中において渡り職人や諸々の役を賦課すること。
この寺は無縁(アジール)であるから、様々な賦役は免除している。もし違反する者がいれば速やかに処罰する。
※東竜寺は愛知県常滑市大野町に所在。
案文
清水湊爾繋置新船壱艘之事
右、今度逐訴訟之条、清水湊・沼津・内浦・吉原・小河・石津湊・懸塚、此他分国中所々、如何様之荷物俵物以下相積雖令商買、於彼舟之儀者、帆役・湊役并出入之役、櫓手立使共免除畢、縦自余免許之判形相破、至于其時為一返雇臨時之役等雖申懸之、不限時分他国之使已下別而可令奉公之旨申之条、為新恩令扶助之上者、不可及其沙汰、然者以自力五拾貫文之買得有之云々、分限役是又一返之役臨時役等免許畢、年来為無足令奉公之条、永不可有相違、雖然以判形於諸役仕来湊者、可勤其役者也、仍如件、
永禄参 庚申 年
三月十二日
中間
藤次郎
→静岡県史 資料編7
今度訴訟に及んだ条目について、清水湊・沼津・内浦・吉原・小川湊・石津・掛塚など、今川領国の全港は、いかなる荷物・俵物を売買したとしても、清水湊に今度置いた1艘は、帆や港繋留・入出港・漕ぎ手に関してかけていた税金を免ずる。たとえ他の通達が破棄されたとしても、また一時的に強制課税されたとしても、また他国からの通達で奉仕するように伝えられたとしても、今回の免税権を確保した上は、そういった妨害が入ることはない。たとえ50貫文の利益を得たとしても、台帳上の税、一度限りの税、臨時税など非課税とする。年来無償奉仕してくれたのだから、永く相違ないように。諸税に関してはこの通達通りとするが、港のしきたりは勤めるように。
犬居三ヶ村定置法度之事
一、山中被官・百姓等、対景泰企非議之訴訟、属他之手、剰直ニ可令奉公之由雖申上、不可許容事、
一、百姓等年貢引負、或隣郷山林不入之地就令徘徊、相届任法度可加成敗、并山中寺庵等小寺領・屋敷以下無相違処、背地頭直可支配之旨、判形等雖申上不可許容事、
一、当知行分百姓等拘置、野山・屋敷等令不作、就陣番夫公事以下迷惑之由、雖訴訟不可許容、其上於在所徘徊者、雖為誰被官・百姓在所お可追払事、
右条々、不可有相違、以此旨弥可抽奉公之状如件、
天文十九年十一月十三日
治部大輔(花押)
天野安芸守殿
→戦国遺文今川氏編978「今川義元判物」(広島大学日本史学研究室所蔵天野文書)
一、山中の家臣と百姓たちは、天野景泰に対して非合理な訴訟を企て、他の主人に属したり、さらには今川家直属になりたいと申請している。これは許されないこと。
一、百姓たちが年貢を納めなかったり、あるいは隣の村の山林・不入の地を徘徊したら、届け出て法規に照らして処罰するように。並びに、山中寺庵など小寺領・屋敷以下は相違ないところ、地頭に背いて、直轄支配となるよう判形などで申請しているが許すことはないこと。
一、当知行分の百姓らを保持して、野山・屋敷などを作らず、陣番や夫役、公役について困っているとのこと。訴訟したとはいえ許容しない。その上、在所を徘徊する者は、誰の被官・百姓であっても追い払うこと。
右の条項、相違があってはならない。この旨をもってますます奉公にぬきんでるように。
判物