徳川家康、松井左近に、松崎攻囲の作戦を指示する
一 松崎籠城之衆足弱事、上郷償之在所并西条端、又寺内仁雖有之、改次第可成敗、若自然寺内不及手者、早速交名可有注進、即改其方江可相渡事 一 取出普請出来之上、猶々松崎城江出入可停止、縦雖為償之在所、使一人之外、一切出入、手 …
一 松崎籠城之衆足弱事、上郷償之在所并西条端、又寺内仁雖有之、改次第可成敗、若自然寺内不及手者、早速交名可有注進、即改其方江可相渡事 一 取出普請出来之上、猶々松崎城江出入可停止、縦雖為償之在所、使一人之外、一切出入、手 …
[朱印]定 一 九八郎子仙千代休息之時者、道絞娘同親類質物三人以上四人可置之、雖然仙千代牛久保江帰城之時者、親類質物弐人宛にて可為番替事 一 日近之近辺償、可為力量次第事 一 長九郎子長菊可拘置之事 右条々、所令領掌、仍 …
今川義元が奥平定勝の忠義を賞した文書について、私が当初試みた解釈で不明だった部分が、改めて検討した結果解明できたので、備忘として記しておく。 同去年配当形之厚分等之事 という文を「同じく去る年配当した形の『厚分』等のこと …
知行方之事 一四百貫文 牛久保城共 一弐百貫文 行明 一百貫文 大村不動堂方 一百貫文 豊河中条方 一百貫文 小倉方 一百貫文 麻生田 一百貫文 賀茂 一百貫文 下条 一五百貫文 ほそや 七根 下条之内百貫文 [但此三ケ …
一今度父子以馳走、菅沼小法師属味方畢、然者去年三州悉逆心之割、無二依忠節充行知行之内、萩・牧平・樫山三ケ所、合五貫文、只今本領主爾令還附之段、太以神妙也、因茲為改替出置知行之事 一菅沼新八郎本知悉并蔭山方稲木村共所令扶助 …
今川氏真が簗瀬九郎左衛門尉に宛てた文書について、私が当初試みた解釈が誤っていたため訂正を行なった。備忘録として、修正内容と根拠、適用範囲を書き記しておこうと思う。具体的にいうと、 為初奥平久兵衛尉・鱸九平次、随分者数多討 …
去年於一鍬田一戦之刻、合鑓号鈴木弥助者福嶋東市尉与、令合討之段、太以感悦也、弥可励忠功之状如件、 永禄六[癸亥] 六月朔日 上総介(花押) 小笠原与左衛門尉殿 →戦国遺文 今川氏編1922「今川氏真感状」(小笠原文書) …
[懸紙ウハ書]「田嶋新左衛門尉殿 上総介」 去年以調略、一宮端城并地下中令放火之間、神妙ニ候、弥可励忠節之状如件、 永禄六 三月廿四日 上総介(花押) 田嶋新左衛門尉殿 →戦国遺文 今川氏編1904「今川氏真感状」(長 …
去九日、至大代口松平蔵人取懸之処、各走廻、敵数多討捕候、殊自身粉骨之旨、雖不始于今感悦候、弥無由断用心等肝要候、謹言、 十一月十三日 氏真判 奥平監物丞殿 →戦国遺文 今川氏編1880「今川氏真感状写」(東京大学総合図 …
去九日、至大代口松平蔵人取懸之割、被官人林与右衛門尉走廻、本田八蔵討捕之旨、太以神妙也、弥可抽戦功之由、可申聞之状如件、 永禄五年 十一月十三日 氏真判 奥平監物丞殿 →戦国遺文 今川氏編1879「今川氏真感状写」(東 …