今川義元、杉山市蔵に後北条氏茶会の様子を聞く
芳札令披見候、如来意去十三日雪、北条家茶会之事羨鋪打過処、雪降済候之間、被相招候段、別而致大慶候、宗賀■被差加、於令同伴ハ寔可有興候、明廿五日朝卯刻以参可謝候、恐々、 十一月廿四日 治部大輔(花押) 杉山市蔵殿へ →戦国 …
芳札令披見候、如来意去十三日雪、北条家茶会之事羨鋪打過処、雪降済候之間、被相招候段、別而致大慶候、宗賀■被差加、於令同伴ハ寔可有興候、明廿五日朝卯刻以参可謝候、恐々、 十一月廿四日 治部大輔(花押) 杉山市蔵殿へ →戦国 …
その1では、地元時代を思い出して色々と書いた。小田原住人からすると、入生田近くまで行って早川を越え急坂を登坂したり、早川駅の向こう側まで行って登るような距離は遠いのだと。 よくよく考えてみても、細川忠興が陣取ったという富 …
「(モト懸紙ウハ書)武田伊豆守 義元」 連々無御等閑毎時御馳走、誠御入魂異于他候之間、於当国山西壱所号岡田地[近年三条殿所務分]進之候、雖些少之儀候、御志計候、弥於無御疎略者本望候、恐々謹言、 六月十九日 義元(花押影) …
[印文「義元」I型]参河国篠原郷永源寺之事 一祠堂寄進田弐町[寮舎共]之事 一買得之田地壱町八段之事[但自此内地頭方江年貢銭参貫六十余納之云々] 一増米弐斗八升余之事 一祠堂之米銭取引之事 一諸寮舎買得之田地、何方仁雖有 …
1982年の夏、中学生だった私は初めて石垣山に登った。何となく入った郷土史研究会の活動で「城跡にでも行ってみるか」ということになり、場所を任された次第。ちなみに、顧問の教師を含めて郷土史に興味のある者は私だけ。2班あって …
遠州笠原庄村岡西方知行内、浜野村後之砂地之事 右、従前々東西両郷分置之地入同以来、宛行知行之砂領主之事、 信家廿ヶ年余令開発雖令所務、今度斎藤六郎衛門以新儀、可為東方之旨申出之条、双方雖遂裁許、依難及分別、以奉行人令点検 …
[印文「義元」I型]制札 一軍勢甲乙人等、不可致濫妨狼藉事 一山林竹木不可伐取之事 一非分之儀不可申懸事 一年貢已下無々沙汰処、不可入催促事 一為俗之進退、指置往持寺家不可相対事 右条々、堅所令停止之也、若於違背之輩者、 …
年来相拘名職年貢之事 一西野郷名田之事、十九貫文田畠山河屋敷共、 一井山名之事、七貫六百文 一則貞名之事、六貫六百文 一二本木名之事、四貫三百六十文山河屋敷共、 宛行新地四十貫之事 一久九平郷十三貫文 一植野郷六貫 …
西湘。文字通り、西の湘南。 最近は小田原周辺を「西湘」地域と呼ぶ例が多いように見受ける。これは私が東京に出てからだから、1990年代からだと思う。「湘南」ブランドを想起させる名称が口当たりもよく、ベッドタウン・観光での誘 …
御書拝覧本望候、仍ゆかけ五給候、祝着之至候、随毎年令進献候、御合力之儀無相違申付候、可御心安候、委曲可得貴意候、恐々謹言、 閏十月廿九日 義元(花押) 三条殿 人々中 →戦国遺文今川氏編「今川義元書状(切紙)」(思 …