感状之知行書立之事、

千八百七拾四貫文 葛山領佐野郷

貮百貫文     ゝ  葛山堀内分

百貫文      ゝ  清五郷

以上貮千百七拾四貫文

此内、

千貫文 先日感状之地、

千七拾四貫文 一騎合百六騎

但、壱人拾貫文積、

百貫文    歩鉄炮廿人

右、以今度之忠功如此申付候条、父上上野守走廻間者別様ニ致立、其方一旗ニ而可取、以恩賞之地致立人数、可及作謀者也、仍而状如件、

永禄十二 己巳

壬 五月三日

氏政公御有印綬有

清水新七郎殿

→戦国遺文 後北条氏編「北条氏政判物写」(清水一岳氏所蔵文書)

感状による知行一覧のこと。1,874貫文は葛山領の佐野郷、200貫文は同領葛山堀内分、100貫文は同領清五郷。以上2,174貫文。このうち、1,000貫文が先日感状の地である。1,074貫文は一騎合を106騎となる。但し、1人は10貫文の換算となる。100貫文は歩侍の鉄炮を20人。
右はこの度の忠功をもってこのように申し付けるものである。父上の上野守が活躍している間は別立てとして、あなたにひと旗を取らせます。恩賞の地を使って部隊を編成し、可能な限り謀を巡らすように。

太神宮御祓之箱頂戴、目出度候、仍葛西庄御神領之由承候、至于可為如上代者、其類可多候、宜諸国之次候、伏所冀者、以 神慮、房総可令本意候、此願令成就者、新御神領可令寄進候、委細者、石巻父子可申上也、仍状如件、

二月廿七日

平氏康(花押)

太神宮禰宜中

→戦国遺文 後北条氏編「北条氏康書状写」(鏑矢記)

 太神宮のお祓い箱を頂戴し、めでたく存じております。葛西庄の神領の件承りました。上代のように致します。その類は多いことでしょう。諸国に次ぐようにしましょう。平伏して冀うのは、神慮を以って房総にて本意を遂げたいということです。この願いを成就していただけたなら、新たに神領を寄進するでしょう。詳しくは石巻父子が申し上げます。

廿九日、甲申、晴、三条亜相ニ申香之筒十五人分書事出来到、并今日太守之和歌会始可来之由俄被申云々、題仙洞鶴多、未下刻三条へ罷向、令同道太守へ罷向、人数三亜、予、太守、瀬名孫十郎、同各和式部少輔、葛山三郎、進藤三川守、木村左衛門大夫、最勝院素経、同子宮菊、斎藤弾正忠、一宮彦三郎等也、此方当座計、沢路隼人佑、一宮出羽守、蒲原右衛門尉等也、読上事瀬名孫十郎、次湯積、次蒸麦吸物等也、及黄昏罷帰了、先之御黒木へ立寄了、今日和歌如此、

詠仙洞鶴多和歌 正二位言継

立与利天聞丹裳千世也仙人農道盤古々良爾真名津類能声

 当座題紅葉浅、隼人代関路雲

あすやいかに青かりし葉も昨日けふ時雨し程を梢にそ見る

もる人も及ハぬきハや清見かたゆるさぬ関をこゆるしら雲

→静岡県史「1557(弘治3)年 正月二十九日」(言継卿記)

 29日甲申、晴れ。三条亜相に言っていた、香木の筒15人分を書き出していたものが到着した。同時に今日、太守(義元)の和歌会始が急遽行なわれることとなったと言われた。題は仙洞鶴多、未下刻(15時頃)に三条宅へ向かい同道して太守邸へ赴く。メンバーは三条亜相と私、太守、瀬名孫十郎・各和式部少輔、葛山三郎、進藤三河守、木村左衛門大夫、最勝院素経・その子宮菊、斎藤弾正忠、一宮彦三郎などであった。こちらは急なことでもあり、沢路隼人佑、一宮出羽守、神原右衛門尉などであった。読み上げは瀬名孫十郎。次いで湯漬け、次いで蒸麦・吸い物などであった。黄昏になって帰った。先の御黒木へ立ち寄った。今日の和歌はこのようであった。(和歌部分略)

十三日、戊辰、天晴、正月中、自大方小袖、織物、袷、浅黄、一重、○賜之、今日之会始ニ可着之由有之、今日之懐紙調之、如此、

詠遐齢如松倭歌  正二位言継

生さきのいつれたかけむ子日せし松の千とせに君か千とせは

次飯尾長門守所ヨリ昨日之礼ニ使同心、にて、又会ニ八時分可罷出之由大原伊豆守申云々、次時分三条亜相へ罷向、大原伊豆守、飯尾若狭守迎ニ来、但被返之、三、予、時衆勝路令同道五郎殿へ罷向、先予ニ各礼申、葛山左衛門佐、富樫次郎、三浦上野介、進藤ゝゝゝ、岡辺太郎左衛門、神原右近、粟屋左衛門尉若州武田内牢人也、朝比奈丹波守等也、次各懐紙置之、次富樫民部少輔被読揚之、次盃出、初献蒸麦、羊〓(食+干)、吸物、ニ献土器物二、ニテ及数盃、相伴衆三、予、五郎、惣持院勝路、富樫次郎、葛山左衛門佐、富樫民部少輔、最勝院、木村左衛門大夫、一宮出羽守、三浦上野介、沢路隼人佑、斎藤佐渡守、粟屋左衛門尉、進藤三川守、岡辺太郎左衛門、神原右近、大原伊豆守、朝比奈丹波守、孝甫、観世十郎大夫、同次郎大夫、同神六等也、猿楽三人音曲有之、申下刻罷帰了、

→静岡県史「1557(弘治3)年 正月十三日」(言継卿記)

 13日戊辰、晴れ。正月中。大方より小袖・織物・袷(浅黄・1重)を賜る。今日の歌会始に着るようにとのこと。今日の懐紙を準備する。(和歌部分略)次いで飯尾長門守のところより昨日の礼に同心を使いに出してきた。使いから聞くには、会へ『八時分』で出立すると大原[小原]伊豆守に告げたという。次の時分に三条亜相宅へ向かう。大原伊豆守と飯尾若狭守が迎えに来た。但しこれは返され、三条亜相と私で、時衆の勝路を同道させて五郎殿[氏真]宅へ向かった。まず各々が私に礼を言う。葛山左衛門佐・富樫次郎・三浦上野介・進藤某・岡辺[岡部]太郎左衛門・神原[蒲原]右近・粟屋左衛門尉(若狭国武田家の牢人である)・朝比奈丹波守たちである。次に各々が懐紙を置き、富樫民部少輔が読み上げを行なう。ついで盃が出され、最初の献立は蒸麦と羊羹、吸い物。二番目の献立は土器物2品で数盃に及ぶ。ご相伴したのは三条亜相と私、五郎、惣持院勝路、富樫次郎、葛山左衛門佐、富樫民部少輔、最勝院、木村左衛門大夫、一宮出羽守、三浦上野介、沢路隼人佑、斎藤佐渡守、粟屋左衛門尉、進藤三河守、岡辺太郎左衛門、神原右近、大原伊豆守、朝比奈丹波守、孝甫、観世十郎大夫・次郎大夫・神六などである。猿楽3人の演奏があった。申下刻(17時頃)に帰った。

梅渡年花 天文十七年戊申義元歌会始、正月十三日、

わきてことし花の台も玉をミかき瑠璃をちりハむ軒の梅かえ

 義元亭新造侍る比間、如此、

→静岡県史「正月十三日」(為和集)

天文二年正月十三日、今河五郎氏輝会始、

 梅花久薫

いくかへり鶯さそふ花のかに十世の宿や万代をへん

 右十代ハ、当今河迄今河家十代也、然間如此よミ侍也、

『今河先祖』

国氏―基氏―範国―範氏―泰範―範政―範忠―義忠―氏親―氏輝

→静岡県史「正月十三日」(為和集)

為竜王丸守衆、頭人申付之上者、毎事無疎略、可被馳走候、幼少守立事、其役可為苦労候、弥可励奉公者也、恐々謹言、

正月朔日

義元(花押)

三浦内匠助殿

→静岡県史「今川義元書状写」(尾張文書通覧)

 竜王丸の守衆としてそのまとめ役を申し付けますので、何事も疎略にせず、奔走するようにお願いします。幼少を守り立てることとなり、その役目は苦労があるでしょう。いよいよ奉公に励んで下さい。

(今川義元花押)

当宿伝馬之儀、天文廿三年仁以判形五箇条議定之処、

一里十銭不及沙汰由申条、重相定条々

一雖為如何様之公方用并境目急用、一里十銭於不沙汰者、不可出伝馬事

一毎日五疋之外者、可為一里十五銭事

一号此一返奉行人雖令副状、可取一里十銭事

 附、壱里十銭依不沙汰伝馬不立之上、荷物打付雖令通過不可許容、縦荷物雖失之、不可為町人之誤事

右条々、如先判不可有相違、若於有違背輩者、注進交名者也、仍如件、

永禄元 戊午

八月十六日

  御油

    二郎兵衛尉

→静岡県史「今川義元判物」(林文書)

 この宿の伝馬のことは、1554(天文23)年に判形の5ヶ条を定めているところであり、
一、1里10銭は処理に及ばないとのこと、重ねて定める。
一、どのような公用・国境の急用のためとはいえ、1里10銭を支払わない者には伝馬を出さないこと。
一、1日5疋を超える場合は1里15銭を取り立てること。
一、今回は特例であるという奉公人の添え状があったとしても、1里10銭は取り立てること。
付則、1里10銭が支払えなければ、伝馬は立てずに荷物を拘置し、通過は許容しないように。たとえ荷物が失われたとしても、それは町人の過失ではない。
 右の条項は、先の判形に相違があってはならない。もし違反する者があれば、名前を報告すること。

伝馬壱疋無相違可出之者也、仍如件、

天文廿年

三月廿七日

駿遠参宿々中

→静岡県史「今川義元伝馬手形」(柳沢文庫所蔵)

文頭の朱印は「如律令」、月日上の朱印は「義元」

 伝馬1疋を相違なく出すこと。

急度染一筆候、和田辺麦毛純■■■、頻而告来候条、来■日■井田■、四日■和田■移陣候、然者人数一向不調候、苻内可被相触候、次駿州江信虎様御越候哉否、節々彼国之模様被聞、註進待入候、随而於于旗屋之祈念之事、無疎略御勤行尤之由、不閣可有催促候、恐々謹言、

追而、新造御祈祷真読大般若之事、駿州江被聞候条、無疎意可被申付候、

五月一日

信玄(花押)

高白斎殿

市川七郎右衛門尉殿

→静岡県史「武田晴信書状」(比毛関氏所蔵文書)

1565(永禄8)年に比定。

 取り急ぎご連絡します。和田周辺の麦作が実ったと報告がありましたので、来る■日に松井田、4日に和田に陣を移します。ということで軍勢が一向に整わないので、府内で触れを出して下さい。次に駿河へ信虎様がお越しでしょうか。折に触れてあの国の模様を聞き出して下さい。報告を待ち望んでいます。旗屋の祈念のこと、疎かにせず勤行に励むのが尤もだとのこと、間をおかず催促するようにお願いします。
 追記:新造のご祈祷は大般若経の真読のこと。駿河国へ聞かせたので疎意なく申し付けるように。