北条氏政、清水新七郎に恩賞の土地を与え部隊編成を命ず
感状之知行書立之事、 千八百七拾四貫文 葛山領佐野郷 貮百貫文 ゝ 葛山堀内分 百貫文 ゝ 清五郷 以上貮千百七拾四貫文 此内、 千貫文 先日感状之地、 千七拾四貫文 一騎合百六騎 但、壱人拾貫文積 …
感状之知行書立之事、 千八百七拾四貫文 葛山領佐野郷 貮百貫文 ゝ 葛山堀内分 百貫文 ゝ 清五郷 以上貮千百七拾四貫文 此内、 千貫文 先日感状之地、 千七拾四貫文 一騎合百六騎 但、壱人拾貫文積 …
太神宮御祓之箱頂戴、目出度候、仍葛西庄御神領之由承候、至于可為如上代者、其類可多候、宜諸国之次候、伏所冀者、以 神慮、房総可令本意候、此願令成就者、新御神領可令寄進候、委細者、石巻父子可申上也、仍状如件、 二月廿七日 平 …
廿九日、甲申、晴、三条亜相ニ申香之筒十五人分書事出来到、并今日太守之和歌会始可来之由俄被申云々、題仙洞鶴多、未下刻三条へ罷向、令同道太守へ罷向、人数三亜、予、太守、瀬名孫十郎、同各和式部少輔、葛山三郎、進藤三川守、木村左 …
十三日、戊辰、天晴、正月中、自大方小袖、織物、袷、浅黄、一重、○賜之、今日之会始ニ可着之由有之、今日之懐紙調之、如此、 詠遐齢如松倭歌 正二位言継 生さきのいつれたかけむ子日せし松の千とせに君か千とせは 次飯尾長門守所 …
梅渡年花 天文十七年戊申義元歌会始、正月十三日、 わきてことし花の台も玉をミかき瑠璃をちりハむ軒の梅かえ 義元亭新造侍る比間、如此、 →静岡県史「正月十三日」(為和集)
天文二年正月十三日、今河五郎氏輝会始、 梅花久薫 いくかへり鶯さそふ花のかに十世の宿や万代をへん 右十代ハ、当今河迄今河家十代也、然間如此よミ侍也、 『今河先祖』 国氏―基氏―範国―範氏―泰範―範政―範忠―義忠―氏親 …
為竜王丸守衆、頭人申付之上者、毎事無疎略、可被馳走候、幼少守立事、其役可為苦労候、弥可励奉公者也、恐々謹言、 正月朔日 義元(花押) 三浦内匠助殿 →静岡県史「今川義元書状写」(尾張文書通覧) 竜王丸の守衆としてそのま …
(今川義元花押) 当宿伝馬之儀、天文廿三年仁以判形五箇条議定之処、 一里十銭不及沙汰由申条、重相定条々 一雖為如何様之公方用并境目急用、一里十銭於不沙汰者、不可出伝馬事 一毎日五疋之外者、可為一里十五銭事 一号此一返奉行 …
伝馬壱疋無相違可出之者也、仍如件、 天文廿年 三月廿七日 駿遠参宿々中 →静岡県史「今川義元伝馬手形」(柳沢文庫所蔵) 文頭の朱印は「如律令」、月日上の朱印は「義元」 伝馬1疋を相違なく出すこと。
急度染一筆候、和田辺麦毛純■■■、頻而告来候条、来■日■井田■、四日■和田■移陣候、然者人数一向不調候、苻内可被相触候、次駿州江信虎様御越候哉否、節々彼国之模様被聞、註進待入候、随而於于旗屋之祈念之事、無疎略御勤行尤之由 …