北条氏照、宇野二郎右衛門に、牧庵が佐野に移動する件で指示を与える
牧庵佐野へ御越ニ付而、道筋之儀、当領分御留申付候、其筋目候、一段申越候キ、定可参着候、然ニ従 屋形様如被仰越者、岩付通被仰付由候、左様ニ候得者、猶以無相違候、其方清戸迄案内者可申候、道之留之儀者、清戸迄之儀と先段申越候、 …
牧庵佐野へ御越ニ付而、道筋之儀、当領分御留申付候、其筋目候、一段申越候キ、定可参着候、然ニ従 屋形様如被仰越者、岩付通被仰付由候、左様ニ候得者、猶以無相違候、其方清戸迄案内者可申候、道之留之儀者、清戸迄之儀と先段申越候、 …
如顕先書、京勢催行由、注進連続之間、先軍勢を集候、其表之義任置候条、善悪共安房守被相談、無二可被及防戦候、 一、郷村之兵粮、正月晦日迄限而、悉く要害へ被入置事、惣並候、厳可有下知候、少之切所をかたとり、城中へ兵粮被入義、 …
笠原千松幼少付而、陣代之事、其方ニ申付候、自当年乙亥歳、来癸未歳迄九ケ年立候者、経公儀千松に可相渡、然者代官所同心衆私領如比間、請取厳密ニ可致之、就中、豆州郡代之事、如先規相改、毛頭掟無妄様ニ可被走廻、仍状如件、 天正三 …
大手諸軍在陣之内、万一古河・栗橋之間へ敵動有之付而者、何時も栗橋川向迄、町人衆悉払而馳参、布施美作守相談、相応之儀可走廻候、若致無沙汰者有之者、後日聞出次第、可行重科候、如何ニも入精可走回候、仍如件、 [虎朱印]三月十三 …
内ゝ今日者可申上由、奉存候処、一昨廿七日之御書、只今未刻奉拝見候、 一 軈而御帰可被成由、被仰下候、此度者懸御目不申候事、折角仕候、二月者御参府ニ可有御座間、其時分懸御目申候て可申上候、 一 御隠居様又御隠居之由、被仰下 …
自奥州如注進者、去廿三、足利表動之砌、致先勢、外張際へ押詰、敵被討捕之由、心地好仕合、感悦候、猶比度ニ候間、別而可被走廻事専肝候、恐ゝ謹言、 八月廿六日 氏直(花押) 冨岡六郎四郎殿 →1913「北条氏直書状」(埼玉県児 …
去廿四日、於足利表、敵一人討捕候、高名之至、神妙候、弥可走廻候也、 正月廿八日 (北条氏直花押) 金井猪助殿 →2019「北条氏直感状」(埼玉県浦和市 金井輝夫所蔵) 小田原市史は天正18年、後北条氏年表は17年に比定 …
去月廿四日、向足利伏兵之砌、終日抽而走廻之由、神妙候、弥可相稼候、謹言、 二月二日 氏直(花押) 桜井武兵衛尉殿 →2020「北条氏直感状」(島根県松江市 桜井元昭所蔵) 小田原市史は天正18年、年表は17年に比定。 …
八月廿八日於山川口、久下兵庫助一人打取之由、并地主早水惣左衛門・立崎綴正、敵一人宛打取候、感悦、堀左へ■依而弥可走廻之旨、被仰出者也、仍而如件、 九月十日 『押欠写』 大石信濃守殿 →戦国遺文 後北条氏編 1944「北条 …
舟橋三王山南之構之小ほり半分ツゝ、両宿より可致之候、模様者、近藤治部左衛門・太田美作守如作意可致之者也、仍如件、 天正五[丁丑]年 [朱印]壬七月朔日 関宿 綱代宿・臺宿町人衆中 →戦国遺文 後北条氏編 1925「北条家 …