三河商人木綿之事■■■■■被申扱、速水勘解由左衛■■■■為礼物三百疋三種二荷持参■■■商人中合点にて相■候由■■■■可然候、時分柄候間、無申事様相果可然候、次 上へ御礼物■■■■被相急候て可然候、不可有油断■■■■恐々謹言、

十月十八日

(三上)士忠(花押)

(布施)公雄(花押)

→愛知県史 資料編11 「布施公雄・三上士忠連署状」(今堀日吉神社文書)

三河国商人の木綿のこと……申し扱われ、速水勘解由左衛門尉……礼物として300疋・三種・二荷の持参……商人たちが了解して■するとのこと……するべきです。時節柄なので、申すことのないよう結論を出すべきです。次いでお上にご礼物……急いで行なうべきです。油断のないように……。

1560(永禄3)年に比定。

急度令啓上候、仍今度三河商人、此方山中木綿通申候処、四本衆被押留候、自先規きわたなと被留候事、一切無之儀候、四本衆之儀も此方領中上下被仕候付而、別而入魂儀ニ候、我等も対四本江、雖不存如在候、新儀被申条如此候、被加御分別、於無異■者、可為恐悦候、猶早水勘解由左衛門尉可被得御意候、恐惶謹言、

拾月十六日

有吉(花押)

→愛知県史 資料編11 「千草有吉書状」(今堀日吉神社文書)

 取り急ぎ申し上げます。この度三河国の商人がこちら山中で木綿と通そうとしたところ、四本衆に抑留されました。前例から言って『きわた』などを抑留することは一切ありませんでした。四本衆のこともこちらの領内の上下の人々が仕えているので格別に親しくしています。私も四本へ自由になるツテがある訳ではありません。新規に申し入れをこのように行ないます。ご分別を加えられて、異存なければ嬉しく思います。さらに早水勘解由左衛門尉が御意を得るでしょう。

1560(永禄3)年に比定。

「三後彦次良光定応仁参年」

■■■

■一屋敷 在所道場之跡

■■■■■■■

(西方者万代三百文目)

茶園共、

右、寄進申候条、為身後■置申候、若於子孫遣乱煩申者、於此寄進之面可■■沙汰候、次所ゝ村人之中よりも不可有遣乱候、仍為後日寄進状旨如件、

■仁参年癸己六月十二日 本宿■■

 成就■■

→新編岡崎市史「(伝)三後光定畠・屋敷寄進状」(安心院文書)

 一、屋敷 在所道場の跡(西は万代300文目) 茶園含む
 右は寄進いたします。後々のため書面として申し置きます。もし子孫が違反して煩わすことがあれば、この書面をもって対処して下さい。次に諸所の村人からも違反することのないように。後日のため寄進状に記載します。

欠字部分は『成瀬氏系図附録 乾』所収の本文所写から補う。

毎度出陣誠以粉骨感入之至候、仍鞍一勢進之候、委曲露条目候間、略紙面候、謹言、

九月十日

岩手右衛門佐殿

同助市殿

→戦国遺文 武田氏編「某書状」(山梨市・信盛院文書)

 毎回の出陣、本当にお疲れ様なことだと感じ入っております。鞍を一勢進呈します。詳しくはリストで示していますので、この紙面では省略します。

一、岡崎退治之籌略をめくらすへく候也、この所下条弾正半途へ越、岡崎より使之者を招密談尤ニ候、若不審候ハゝ氏真よりの書状披見として、半途江差越へき旨、急度可被申越之事、

一、久々利江之俵子、先五百俵相移候哉、重而五百俵必可移候、人足者高遠より下飯田より上人夫にて、信濃境迄遣へく候、其より久々利へは苗左兄弟之領中より、人夫相催運送あるへき旨、兼而理へき事、

(後筆)「是ハ永禄六年、今川氏真と家康公御手切之時、氏真より信玄を頼調略之時、信玄自筆候ニ而、本書に宛所不見」

→戦国遺文 武田氏編「武田信玄判物写[軍役条目]」(東洋文庫所蔵「水月古鑑」五)

一、岡崎退治の策略を巡らしましょう。最近下条弾正を途中まで遣わし、岡崎からの使者を招いて密談するのがもっともです。もし不審な点があれば氏真からの書状を見るとして、途中へ届けさせるべき旨、取り急ぎ指示されるでしょう。
一、久々利への俵ですが、まず500俵が移送できましたか。さらに500俵を必ず移して下さい。人足は高遠から南、飯田より北の領地から徴発して、信濃国境まで派遣して下さい。久々利へは苗左(遠山氏)兄弟の領地内から人足を徴発して運送を行なうこと。こちらも覚えておいて下さい。

久松源三郎指越処、御馳走悦喜申候、只今委細御示、得其意候、被入御念候儀、難申尽候、尚期後音候、恐々謹言、

      松平蔵人

十月廿日     家康(花押影)

岩手右衛門佐殿

→戦国遺文 武田氏編「松平家康書状写」(山梨市・信盛院文書)

 久松源三郎を派遣したところ、奔走をいただけるとのことで喜んでおります。ただいま詳細のお示しを受け取り、その意図を得ました。念を入れられたことは、申し尽しがたいことです。さらにご連絡をお待ちします。

其以後者不申承候、仍高白斎注進之分者、越後衆雖令出張、無指儀退散之由先以御安心候、其後如何候哉承度候、因之陣中江以飛脚申候、恐々謹言、

八月廿九日

氏真(花押)

武田彦六郎殿

→戦国遺文 武田氏編「今川氏真書状」(内閣文庫所蔵「諸州古文書」四上)

 一件以来ご無沙汰しております。高白斎の報告によると、越後国衆が出撃してきたものの、成果もなく退散したとのことで、まずはご安心です。その後どのような状況かお知らせ下さい。ということで陣中に飛脚を送りました。

今後御自身御合力被山越、委細尊書過分之至存候、誠治部大輔被散多年之鬱憤候、併被加御威力存候、満足不過之候、薫態可申入旨、能々可有御披露候、恐惶謹言、

十一月十八日「各内之中より御返事如此」

板垣駿河守殿

→戦国遺文 武田氏編「某書状写」(内閣文庫所蔵「土佐蠧簡集残篇」)

 今からご自身が援軍のため山を越えられ、ご書状の詳細を拝見しもったいなく思います。本当に、治部大輔が積年の鬱憤をお晴らしになられ、そして威力を加えられまして、満足この上ありません。喜びを申し上げますので、宜しくご披露下さい。

御書旨委細拝見申候、抑今度被出御馬、■■治部大輔、旦被遂本意候、各満足仕候、何様態従是可申上之由、〓(冖+且)預御披露候、恐々謹言、

十一月十八日「近仕衆より御返事如此」

謹上 板垣駿河守殿

→戦国遺文 武田氏編「某書状写」(内閣文庫所蔵「土佐蠧簡集残篇」)

 書状の内容を詳しく見ました。そもそもこの度ご出馬されて治部大輔(欠字)さらに本意を遂げられました。各自満足しています。こちらから申し上げたことは、折を見てご披露いただければと思います。

 下巻に入ると、文体が面白いように変わっている。ようやくディケンズらしさが出てきたというべきか、無意味な前置きやわざとらしい言い回しは影を潜め、伸び伸びとした人物描写が光っている。ピクウィック氏が債務者監獄に入れられると、これでもかとばかりに貧困の悲惨さが繰り返される。ここもディケンズらしさの最初の源流と言えるだろう。
 ジンクスとトロッターが改心していく様子も興味深かった。ムニャムニャと感謝するジンクス、鉄の意志で仁義を通すトロッター。特にトロッターが登場時とはまるで違うキャラクターになっている。個人的には、ピクウィック氏に感化されてからのトロッターがこの作中で最も面白かった。
 最後の辺りもウィンクルとサム・ウェラーがメインになっている。その他の人物も、この二人に絡む人物が活躍している。ウィンクルのほうは、アラベラ(ウィンクルの妻)、アラベラの兄とその友人、ウィンクルの父親。サムだと、メアリー(サムの妻)、トニー・ウェラー(父親)、トニーの後妻という顔ぶれ。初期登場人物では設定できないようなドタバタ振りを、彼らが振りまいている。
 微妙に登場し続けたのが、ウォードル氏の召使である『太った少年』ジョー。メアリーに色目を使ったり、相変わらずの食う・寝るぶりが愉快だ。ウォードルの寝室に閉じ込められたスノッドグラースを発見した件は、本作一番の痛快さを持っている。
 そして、ピクウィック氏を敗訴に追い込み訴訟費用をまんまとせしめたドットソンとフォッグがそのまま成功していることにも注目したい。最初の長編からして、ディケンズは勧善懲悪に異を唱えていた。複雑なストーリーと曖昧な善悪性がディケンズの後期小説の特長だと言われるが、既にその萌芽は見られたのである。