要検討じゃないけど検討してみた件
この小文では、着到定という文書で怪しいと思ったものを検討している。文書の解釈は省いているが、リクエストがあれば別途載せてみようと思う。 0)「着到定」って何? たとえばあなたが何かの手柄を立てて、後北条氏に家来として採用 …
この小文では、着到定という文書で怪しいと思ったものを検討している。文書の解釈は省いているが、リクエストがあれば別途載せてみようと思う。 0)「着到定」って何? たとえばあなたが何かの手柄を立てて、後北条氏に家来として採用 …
入力した文書をCSV形式で書き出したので公開。重複や誤入力も多々あると思うので、お気づきの点があればご指摘を。 収録した文書は1,673件。 タイトル行はなく、以下の順でカラムが並んでいる。 本文、文末記述(日付・差出人 …
1562(永禄5)年に葛西城を乗っ取ったとされる本田正家について、戦国遺文の文書を中心に同時代史料から追ってみる。文の前の引用部分は抜粋なので、全文はこの記事後半をご参照のこと。 <1562(永禄5)年> ●3月21日 …
古文書データの削除に続いて、独自解釈を基にした仮説も全て非公開化した。これで後片付けが完了したことになる。 戦国遺文を改めて読み返すことから、少しずつではあるが文書データの蓄積も進んできた。確たる目的もなく史料を読んでい …
これまでアップロードしてきた古文書のデータを整理してきたが、データに問題があったため一括で非表示とする。 そのため文書の参照リンクが機能しなくなるので、暫定的にCSVファイルを設置する。 ファイルの列は以下の順になってい …
翻刻された文言を、現代語に置き換えたものを私は「解釈」と呼んでいる。「現代語訳=翻訳」ではないからだ。翻訳とは、2つの言語を使う人同士をつなぐことを示すのが一般的な語義だろうと思う。たとえば、英語しか話せない者に、日本語 …
遺構が刻々と失われている状況で全国の城跡を調査することは、大変意義深い活動だと思っている。職業的な研究者では到底手が回らない部分を、アマチュアが主体的に調べて開示してくれている。 その一方で、翻刻された文書の解釈は100 …
慶長三年戊戌八月十八日、太閤様御他界、其前兼御遺言秀頼十五歳成候迄、家康輝元一年代り大坂に被相詰仕置き御頼候、其外諸大名も一年代はり相詰候様にとの儀、秀頼江無沙汰仕間敷旨、各起請文仕候得之由、諸大名不残上巻に起請文致、此 …
井伊谷の幼主である次郎法師について以前考察したが、同様のことがその10年以上前に岡崎で起きていた。 1556(弘治2)年に大仙寺の寺領が脅かされた事件である。まず時系列で見ていく。 6月21日今川義元、三河国大仙寺の寺領 …
『細江町史資料編4』に所収されている『井伊家伝記』の説明は以下。 最近、龍潭寺へ合併された中川の大藤寺に所蔵されていた文書で、祖山和尚が当時の古記録や言い伝えを基に、井伊家の由緒を正徳五年八月十五日に書き上げた草校で、 …