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月別アーカイブ: 1月, 2009

経過報告02:史料の精査

 今川氏から見た桶狭間に関しては、ほぼ史料を網羅できたと自負している。但し、1559(永禄2)年以前の三河・尾張の状況に関しては、2009年6月刊行予定の愛知県史資料編10を待つよりない。この史料の入手によって、松平・織 …

王代記 明応年間記述

同七年戊午八月伊豆ノ御所腹切玉ヘリ。伊勢早雲御敵ニテ。 →戦国史研究27号『堀越公方滅亡の再検討』家永遵嗣  1498(明応7)戊午年8月、伊豆の御所(足利茶々丸)が切腹された。伊勢早雲(宗瑞)と敵対されて。

北条氏康の母は誰か?

論点  ここでの仮説は、史料検討を経ていない。ひとまず記録として残しておく。後北条氏五代の中で生母が判らないのは伊勢宗瑞と北条氏康のみである。後北条前史に埋もれていた伊勢宗瑞の正体は、近年の研究で徐々に明らかになりつつあ …

徳川家康の父は誰か?

調査立脚点  家康の祖父清康と父広忠は、ともに家臣に暗殺され、その暗殺者を同じ人物(植村新六郎)がその場で斬り殺している。推理小説的に、これはなにか裏がありそう。しかも、清康を暗殺した阿部弥七郎の父親である阿部大蔵は、そ …

我流稗史について

 歴史上の矛盾点に関して、史料に基づく検証を抜いて記述してみる。完全な形ではなく、また伝承や通史も参照しつつ道筋だけ探る。このことにより、仮説構築時の指針を打ち出して史料検証の拠点としていこうと考えている。一先ずは、旧サ …

北条氏政、某に足柄城番を命ず

去十二日之一札今十六辰刻披見候、仍二日ニ四郎人衆、其方人数箱根・足柄へ懸急候由、即日被帰候、又大藤八日番替尤ニ候、来ル廿二日ニ人数を被立、廿ニ昼替尤ニ候、従而足柄手蜜ニ付而、其方人衆不足之由無余儀候、小田原程近候間、小幡 …