検証a21:小豆坂合戦の趨勢
小豆坂合戦は1548(天文17)年3月19日に行なわれたことが確認できるが、松井惣左衛門宛の義元感状を見ると 「於西三河小豆坂尾州馳合、最前入馬尽粉骨、宗信同前為殿之条」 (西三河小豆坂において尾張方と戦闘し、前線に馬 …
小豆坂合戦は1548(天文17)年3月19日に行なわれたことが確認できるが、松井惣左衛門宛の義元感状を見ると 「於西三河小豆坂尾州馳合、最前入馬尽粉骨、宗信同前為殿之条」 (西三河小豆坂において尾張方と戦闘し、前線に馬 …
アップした関連古文書に丹羽氏は3名登場する。 01)1525(大永5)年 水野氏被官の丹羽五郎左衛門(楞厳寺寄進状) 02)1550(天文19)年 今川氏被官の丹羽隼人佐(今川義元判物) 03)1553(天文22)年 …
かな目録追加 一互遂裁許公事落着之上、重而めやすを上、訴訟を企る事、証文たゝしき事あらハ、是非に不及、さもなくして、同口上の筋目申に付てハ、罪之軽重を不論、成敗すへき也、 一各同心与力の者、他人をたのミ、内儀と号し、訴訟 …
一譜代の名田、地頭無意趣に取放事、停止之畢、但年貢等無沙汰におゐてハ、是非に不及也、兼又彼名田年貢を可相増よし、のそむ人あらハ、本百姓に、のそミのことく可相増かのよし尋る上、無其儀は、年貢増に付て、可取放也、但地頭本名主 …