月: 2013年10月

足利高基、某に、徳誕蔵主の死去を伝え因幡守を守って忠信に励むよう伝える

徳誕蔵主死去、無是非候、然者、相守因幡守、無二励忠信候、■節■之者共江加意見候者、可為簡要候、巨細安西右京亮可申遣候、謹言、 閏十一月廿一日 (高基花押) [宛所欠] →戦国遺文 古河公方編544「足利高基書状写」(常総 足利高基、某に、徳誕蔵主の死去を伝え因幡守を守って忠信に励むよう伝える

上杉憲房、鏑木兵部少輔に、代々の忠義と釜形陣以来の功績を賞して給地する

対当方代々忠儀之上、殊釜形陣以来、別而被捽忠信条、感入候、可諄も同意候き、然間一所可相計由候処、慮外之進退之上、無其曲、雖然非可失其筋目候之間、任本願寺意見、雖少地候、小美野之内古山分并善徳寺分事、先可被相抱候、巨細三富 上杉憲房、鏑木兵部少輔に、代々の忠義と釜形陣以来の功績を賞して給地する

足利義氏、江木戸豊後守が久幹を守って活躍したことを賞す

「[封紙ウハ書]江木戸豊後守とのへ」 相守久幹、今度走廻之条、神妙之至、感思召状如件、 永禄三年十二月廿九日  (義氏花押) 江木戸豊後守とのへ →戦国遺文 古河公方編858「足利義氏感状」(榎戸克弥氏所蔵文書)  久幹 足利義氏、江木戸豊後守が久幹を守って活躍したことを賞す

足利晴氏、富岡主税が千代増丸を守って活躍したことを賞す

相守千代増丸走廻之条、神妙之至也、 天文十六年十二月廿八日 (足利晴氏花押) 富岡主税とのへ →戦国遺文 古河公方編654「足利晴氏感状」(群馬県立歴史博物館所蔵富岡家古文書) 千代増丸を守って奔走したのは、神妙の至りで 足利晴氏、富岡主税が千代増丸を守って活躍したことを賞す

足利政氏、富岡玄蕃允が刑部大輔を守り忠信であることを賞す

相守刑部太輔、無二忠信之由聞召之条、神妙也、弥可存其旨之状如件、 永正九年十月晦日  (政氏花押) 富岡玄蕃允殿 →戦国遺文 古河公方編371「足利政氏感状」(群馬県立博物館所蔵富岡家古文書) 刑部大輔を守り、無二の忠信 足利政氏、富岡玄蕃允が刑部大輔を守り忠信であることを賞す

足利晴氏、太田豊後守が古河落城時に参陣し活躍したことを賞す

就古河落居、其砌早ゝ馳参走廻之条、忠信之至、感思召候、謹言、 霜月十三日  [古河公方晴氏御判也]在判 太田豊後守殿 →戦国遺文 古河公方編676「足利晴氏感状写」(感状写) 天文23年に比定。  古河落城について、その 足利晴氏、太田豊後守が古河落城時に参陣し活躍したことを賞す

足利成氏、島津隼人佐に、梅犬丸を守って忠節を尽くしたことを賞す

無二相守梅犬丸、致専公儀之忠節候者、可為神妙候也、 三月廿九日  (成氏花押) 島津隼人佐とのへ →戦国遺文 古河公方編224「足利成氏書状」(早稲田大学図書館所蔵下野島津文書)  ひたすらに梅犬丸を守り、公儀の忠節を専 足利成氏、島津隼人佐に、梅犬丸を守って忠節を尽くしたことを賞す