月: 2014年3月

鰯の頭

「オカルトを信じる?」 ある日知人に質問された。雑談の中のさり気ない一言だったが、何ともいえない違和感を感じたので、ちょっと考えてみた。 オカルトとは、出来事の原因を心霊現象で説明する方法だ。では心霊現象は何かというと、 鰯の頭

水野信元、牧野山城守、能勢丹波守らに、牧野右馬允の相続人について通達する

今度右馬允殿就死去、跡職異儀有茂間敷之一札、家康被出候、任其判形、拙夫達而承候間如此候、若此上世上被申懸様共、岡崎任一札其旨可申候、此等之趣各江茂可被仰候、同右馬允殿御息涯分御上候様馳走可申候、一両年駿州ニ雖被留置候、跡 水野信元、牧野山城守、能勢丹波守らに、牧野右馬允の相続人について通達する

今川氏真、東漸寺に、飯尾豊前の寄進を改めて保障する

遠江国濱松庄内東漸寺領分田畠屋敷等事 右、飯尾豊前乗連為母菩提、停止棟別・反銭・諸役永令寄附云々、然処、去子年四月八日飯尾与松平蔵人令対面砌、鷲津本興寺江蔵人軍勢令乱入、其時彼寄進状於老師庵室粉先之由、只今以誓句言上之間 今川氏真、東漸寺に、飯尾豊前の寄進を改めて保障する

椙山陣考-7 余録

結局何が言いたかったかというと。 「椙山之陣」について検討してきたが、まとめると以下のようになる。 ●「椙山之陣」の記載のある文書は類似文書の分布から改変された可能性が高い ●「椙山」の比定地は嵐山町以外にも複数存在しそ 椙山陣考-7 余録

北条氏政、岡本越前守に、駿河国徳倉の普請の様子を報告させる

徳倉之普請、川一瀬ニ候間、則打越見届、大積を明鏡ニ致尤候、謹言、 八月十三日  氏政(花押) 岡本越前守殿 →小田原市史 史料編1383「北条氏政書状」(服部玄三氏所蔵手鑑二) 天正9年に比定。  徳倉の普請は、川が一瀬 北条氏政、岡本越前守に、駿河国徳倉の普請の様子を報告させる

後北条氏、岡本越前守に、相模吉岡郷の竹木保護を命じ、伐採する者を注進させる

岡本知行吉岡郷、於自今以後、如何様ニもはやすへし、為其[無?]虎之印判、かり染にも剪候者、可為曲事、押而剪者有之者、可申上者也、依如件、 天正四年[丙子]七月三日  海保奉之 岡本越前守殿 →小田原市史 史料編1225「 後北条氏、岡本越前守に、相模吉岡郷の竹木保護を命じ、伐採する者を注進させる