北条氏康、大石真月斎に戦況を伝え難破船の積荷を分与する
態以使申候、如先日申候、松山普請、当月不致而■、秋末者敵方造意も可有之候間、不図存立候、三日之内当地を可打立候、涯分堅固ニ可致候条、可御心易候、并高松筋へ散動之事、藤田色ゝ令懇望間、一動申付可打散存候、御人数之事御大儀候 …
態以使申候、如先日申候、松山普請、当月不致而■、秋末者敵方造意も可有之候間、不図存立候、三日之内当地を可打立候、涯分堅固ニ可致候条、可御心易候、并高松筋へ散動之事、藤田色ゝ令懇望間、一動申付可打散存候、御人数之事御大儀候 …
着到定 一五拾九貫文 相州東郡 吉岡 此着到 一本 大小旗持、具足・皮笠、 一本 四方指物持、同理、 二本 鑓、二間之中柄、武具同理、 一騎 自身、甲大立物・具足・面防・手蓋、馬鎧金、 二人 歩者、具足・皮笠、 以上七人 …
来調儀火急に付て、氏政より之使、一昨日夜に入来りつき候、様躰者、明後日十九小田原を可被打出分ニ候、市川之船橋をハ、高城請取、はやゝ最中かけ候、如此之上、少も無油断支度専一候、日限之事者、両日まへに、可被仰出候、其故者、氏 …
今度興国寺へ敵忍入、数百人本城江取入候之処、其方自身打太刀、敵於仕庭五拾余人被討捕、城内堅固、前代未聞之仕合、戦功無比類、誠感入計候、此度本意之上、進退可引立候、仍刀一秋広、久所持之間、進之候状如件、 元亀二年 辛未 正 …
於三河国牛久保領之充行知行分之事 一所 賀茂山田方三拾弐貫文 附夫壱人 一所 八幡本所四拾弐貫文 附夫壱人 一所 長草八貫文 附夫弐人 一所 萩原方散田地拾八貫文 以上百貫文 右、父雅楽助先年牧野民部丞雖企逆心令内談に、 …
房州衆五六百騎ニて、市川ニ陣取、岩付へ兵粮送候、然ニねたん問答ニて、于今指〓(扌+慮)候、此時打而取所由、江戸衆・高城以下数度申越間、明日五日自当地具足ニて、腰兵粮乗馬ニ付、各懸候、然者必ゝ明日昼以前ニ当地へ可打着候、兵 …
諸足軽衆 一 大藤式部丞 七拾九貫七百文 中郡 北波多野 此外 五拾五貫五百文 寺山なこの木 横野新兵衛ニ被下 五拾貫文 三浦 松輪 以上 百弐拾九貫七百文 一 加藤四郎左衛門 卅三貫五百文 西郡飯田 円応 …
親父式部丞、去年於遠州毎日之働、寒天之時分劬労更難尽紙面候、為存命者、自今以後、弥可令入魂候処、没命無是非候、以此好向後其方も偏当方荷担、可為本望候、仍馬介二走金進之候、恐々謹言、 追而不例無本復候之間、不能直判候、意外 …
其地無事之由肝要候、仍去廿一夜、出伏兵塩荷通用之者、数多討捕之由、因茲敵往復相留段、誠馳走無是非趣、相州へも可申届候、弥無由断被申付専一候、各へ異見尤候、恐々謹言、 六月廿五日 氏真(花押) 大藤式部少輔殿 →神奈川県史 …
今度不慮之儀就出来、其城■被相移、走廻之段怡悦候、備之儀、氏康・氏政へ申入候間、馳走肝要ニ候、猶附口上候、恐々謹言、 正月五日 氏真(花押) 大藤式部殿 →神奈川県史「今川氏真書状」(大藤文書) この度不慮の出来事が起 …