旧暦6月27日
この日、7月30日(旧暦だと6月27日)をもって、5月19日から続いていた氏真の活動記録が一旦途切れる。 氏真は熊野大社に「於尾州不慮之儀出来、因茲遠路来書祝着候」(尾張国で不慮の事件が起きました。このことで遠路書状 … 旧暦6月27日
この日、7月30日(旧暦だと6月27日)をもって、5月19日から続いていた氏真の活動記録が一旦途切れる。 氏真は熊野大社に「於尾州不慮之儀出来、因茲遠路来書祝着候」(尾張国で不慮の事件が起きました。このことで遠路書状 … 旧暦6月27日
旧暦6月23日(7月26日)、武田晴信は穴山信友に書状を書き起こした。 そこでは「対氏真無等閑趣被申述、同氏真同意被聞届候者、早々御帰国簡要候」、つまり、氏真に対して粗略な扱いはしないと申し述べて、氏真が納得したので早々 … 旧暦6月23日
調子に乗ってアップし過ぎたせいか、これまで使ってきた『ppblog』が文字化け・検索不能という症状をきたすようになってきた。下書きを含めると、文字量の多いエントリー数が700を超える状況で、DB不使用は限界だったようだ。 … CMS変更
7月19日(旧暦6月16日)は、氏真が簗瀬九郎左衛門尉に感状を発行している。 「今度当城堅固爾相踏、殊於両度遂一戦」と書いていることから当城がどこか不明だが、2度にわたって戦闘があった点が6月12日の鵜殿十郎三郎宛感 … 旧暦6月16日
7月16日は旧暦6月13日。この日、空梅雨から一転、長雨が10月まで降り続く冷夏となる。これ以降は、暑苦しい日照りの風景ではなく、一日中雨に降り込められる情景に切り替わることとなる。 この日「抑今度以不慮之仕合、被失利大 … 旧暦6月13日
7月15日(旧暦6月12日)に、氏真が鵜殿十郎三郎に感状を発行している。 その内容は「去年十一月十九日、去五月十九日於尾州大高口、両度合戦之時」となっていて、前年11月のことと併せて、5月大高口での戦功を賞している。 … 旧暦6月12日
7月13日、この日は旧暦で6月10日に当たる。この日に至ってようやく、織田方が合戦に関わっていたのではないかという史料が出てくる。 佐久間信盛が「今度就合戦之儀、早々御尋本望存候、義元御討死之上候間、諸勢討捕候事、際 … 旧暦6月10日
7月11日は、旧暦でいうと6月8日となる。この日、義元が敗死した合戦に関わった岡部元信に宛てて、氏真が判物を発給している(今川氏真判物写)。 大高、沓掛が捨てられる中で、鳴海城を堅固に守ったと氏真は手離しで絶賛してい … 旧暦6月8日
伊達政宗に1,000通を超える自筆の書状があったというのは初耳だった。その中から印象的なものをえり抜いて紹介しているのが『伊達政宗の手紙』(佐藤憲一著・洋泉社MC新書)である。 著者は仙台市博物館長だった人物で、政宗 … 『伊達政宗の手紙』
7月6日は旧暦6月3日となる。この日、徳川家康(松平元康)が禁制を発している(松平元康禁制写)。 崇福寺は岡崎と西尾(吉良)との間にあり、この地点で今川方部隊が駐屯、もしくは交戦とすると、岡崎か西尾が反今川方となって … 旧暦6月3日