今川氏真、大澤某と中安彦次郎が城を防備したことを賞す
当城堅固候、殊其地被相踏之由、無二忠信此時に候、弥々可有本意候条、朝比奈備中守委細可申候、恐々謹言、 十二月廿一日 氏真 御在判 大澤殿 中安彦次郎殿 →戦国遺文 今川氏編2213「今川氏真書状写」(大沢文書) 永禄11 …
当城堅固候、殊其地被相踏之由、無二忠信此時に候、弥々可有本意候条、朝比奈備中守委細可申候、恐々謹言、 十二月廿一日 氏真 御在判 大澤殿 中安彦次郎殿 →戦国遺文 今川氏編2213「今川氏真書状写」(大沢文書) 永禄11 …
1589(天正17)年8月頃に行なわれた沼田領引き渡しでは、通説だと以下のように理解されている。 1.沼田城 真田氏から後北条氏へ羽柴方監視のもと引き渡した 2.名胡桃城 真田氏が保有したまま そしてこの状態が11月の …
鳴海原合戦についてはほぼ考証が固まっているのだが、『戦国遺文 今川氏編』の刊行完了を待って結論を出そうと考えている。 いるのだが、全3巻の予定が終わらずに第4巻を1年以上待った。そしていよいよ今週末の4月25日に発売とな …
森田善明氏の著(歴史新書y) 。 端的に述べてしまうと、史料を読む機会の少ない読者には危険な内容である。一次史料を使ってかなり踏み込んだ解析を行なっているのだが、あくまで相対的な仮説に過ぎない。 史実・真相・真実と書かれ …
就両国之不和、今度御出馬之処ニ、早々出仕被申候、必進退相当之望可申上候、可相調候、猶帯金可申越候、恐々謹言、 十二月七日 信君(花押) 惣左街門殿 助兵衛尉殿 六郎左衛門尉殿 清三郎殿 兵衛門尉殿 →戦国遺文 今川氏編 …
[印文「幸菊」ヵ]れうしよさゝまの郷かミかうち村の内ニをひて、ほうそうゐんれう壱貫八百文地の事 右、龍雲寺殿ゐんはんの旨ニまかせて領掌也、小庵再興、れうん寺まつ寺として、しゆりつとめ、以下たいまんなきうへハ、けん地そうふ …
近世(江戸時代)のドラマで現代人はよく知っているかも知れない。任侠で仁義を切る台詞に「手前、生国は相模でござんす……」というものがある。また、商人が自称として「手前ども」という。 では、具体的に戦国期の人々は「手前」をど …
過書銭之儀、当■殊外上之由申条、三人前急度可納所、塩荷被留候条、只今まて上候荷物之儀可納所、為其小者秋若遣者也、仍如件、 永禄十年卯 [印文「萬歳」Ⅲ型]八月十七日 鈴木若狭守■ 武藤新左衛門尉殿 芹澤玄蕃允殿 →戦国遺 …
飛札令披閲候、氏政上洛延引之儀、内証被申聞、喜悦之至ニ候、秀吉心底難量候上者、於氏政可為隔意候歟、猶期後慶時候、恐ゝ頓首、 十二月八日 氏直(花押) 前田源六郎殿 御宿所 →小田原市史1985「北条氏直書状写」(古文状) …
雖思慮不浅、馳愚札候、抑駿・甲・相更不離御間ニ候処、無意趣茂、以国競望之一理、今般自甲駿州へ乱入候、然ニ当方江之表向者、駿・越申合、信玄滅亡之企被取成候、此処慥承届之間、此度及手切之由、自甲被申越候、然則貴国へ内通故歟、 …