月: 2010年6月

旧暦5月25日

 今日6月28日は、旧暦5月25日に当たる。この日は氏真が天野景泰に宛てて、緊急事態を告げている(今川氏真書状)。  天野景泰はどこかの城を守備していたようで、堅固に守ったことを賞されているから、臨戦体制にあったのではな 旧暦5月25日

旧暦5月22日

 6月25日は旧暦5月22日に当たる。この日、氏真側近の三浦正俊によって初めて鳴海原合戦が語られた(三浦正俊書状写)。ここでは「不慮の巡り合わせ」としてのみ記され、松井左衛門佐(宗信)が奮戦して行方不明になったと語られて 旧暦5月22日

旧暦5月19日

 1560年の旧暦(宣命暦)5月19日は、新暦(グレゴリオ暦)で6月22日となる。ちょうど450年前のこの日、今川義元が尾張国鳴海原で敗死した。当日付けで合戦の模様を語った史料はない。その詳細は、この後最初の一報が発せら 旧暦5月19日

今川義元、三河国今橋城攻撃における天野景泰の戦功を賞す

今度三州今橋之城小口取寄之時、了念寺へ可相移之由成下知候之処、不及異儀■前馳合堅固相踏之旨、忠功之至感悦也、今月十■日辰剋、同城外構乗崩之刻、不暁ニ宿城江乗入、自身■粉骨、殊同名親類被官以下蒙疵、頸七討捕之条、各別紙遺感 今川義元、三河国今橋城攻撃における天野景泰の戦功を賞す

今川義元、松井左近尉に、松平甚二郎逆心時の対応を賞し、甚太郎同心として奉公するよう指示

(封紙ウワ書) 「松井左近尉とのへ」 (端書) 「(切封墨引)」 今度甚二郎逆心之儀訴出之旨、忠節之至也、然者松平甚大郎為同心可令奉公也、仍如件、 十二月十一日 義元(花押) 松井左近尉とのへ →愛知県史 資料編10「今 今川義元、松井左近尉に、松平甚二郎逆心時の対応を賞し、甚太郎同心として奉公するよう指示