旧暦5月25日
今日6月28日は、旧暦5月25日に当たる。この日は氏真が天野景泰に宛てて、緊急事態を告げている(今川氏真書状)。 天野景泰はどこかの城を守備していたようで、堅固に守ったことを賞されているから、臨戦体制にあったのではな …
今日6月28日は、旧暦5月25日に当たる。この日は氏真が天野景泰に宛てて、緊急事態を告げている(今川氏真書状)。 天野景泰はどこかの城を守備していたようで、堅固に守ったことを賞されているから、臨戦体制にあったのではな …
6月25日は旧暦5月22日に当たる。この日、氏真側近の三浦正俊によって初めて鳴海原合戦が語られた(三浦正俊書状写)。ここでは「不慮の巡り合わせ」としてのみ記され、松井左衛門佐(宗信)が奮戦して行方不明になったと語られて …
1560年の旧暦(宣命暦)5月19日は、新暦(グレゴリオ暦)で6月22日となる。ちょうど450年前のこの日、今川義元が尾張国鳴海原で敗死した。当日付けで合戦の模様を語った史料はない。その詳細は、この後最初の一報が発せら …
(切紙) 芳札祝着候、まつゝゝ相州之儀、数年つゝかなきところに、馬をよせられ、剰小田原之地ことゝゝく放火のよし、前代未聞、申へきやうもこれなき名誉まてにて候、然者、馬をたてられ、此刻あいはたさるへきよし候へとも、各断而異 …
1561(永禄4)年での記述が不足していたため、織田方禁制と氏真感状を追記した。特に織田方禁制3件は尾張を中心に広範に及ぶもので、注目が必要だろう。 登録したエントリーが多くなったため、ppblogの検索機能が追いつ …
表題の通り、これまで集めた史料を元に大幅に加筆を行なった。1543(天文12)年から1567(永禄10)年までの史料を集め、三河を巡る織田・今川氏とその関係者の動向を中心に列記してある。 その史料の大半は今川氏の関係者に …
[印分「如律令」] 当手軍勢甲乙人乱暴狼藉之事、堅令停止之訖、若於違犯之輩、可処厳科者也、仍如件、 天文十五[丙午] 六月十五日 長興寺 龍門寺 伝法寺 →「今川義元朱印状」(田原市大久保・長興寺文書) 当方の軍勢・ …
(今川義元花押) 禁制 一 軍勢甲乙人等濫妨狼籍之事 一 寺内山林竹木截取事 一 軍勢寺中陣取并号見物出入之事 右、於背此旨輩者、速可加成敗者也、仍如件、 天文十二年十月十五日 小松原山 東観音寺 →「今川義元禁制」 …
今度三州今橋之城小口取寄之時、了念寺へ可相移之由成下知候之処、不及異儀■前馳合堅固相踏之旨、忠功之至感悦也、今月十■日辰剋、同城外構乗崩之刻、不暁ニ宿城江乗入、自身■粉骨、殊同名親類被官以下蒙疵、頸七討捕之条、各別紙遺感 …
(封紙ウワ書) 「松井左近尉とのへ」 (端書) 「(切封墨引)」 今度甚二郎逆心之儀訴出之旨、忠節之至也、然者松平甚大郎為同心可令奉公也、仍如件、 十二月十一日 義元(花押) 松井左近尉とのへ →愛知県史 資料編10「今 …