去廿二日之夜、三州大塚之城以一身之籌策乗取之、殊被疵別而竭粉骨之旨、太以感悦也、弥可抽軍忠之状如件、

九月廿八日

上総介 書判

牧野八太夫殿

→愛知県史 資料編11「今川氏真感状写」(三川古文書)

1562(永禄5)年に比定。

 去る22日の夜、三河国大塚の城、単身の策謀で乗っ取った。特に負傷したことは粉骨を尽くすものである。大いに感悦した。ますます軍忠にぬきんでるように。

「御局御奉書」
「仰 天文十■■ ■」

するかとおはりとくわほくのこと、たいけんちやうらうへちよくしよつかハされ候、さおひなき事にて候ハゝよろこひおほしめし候へく候、御しゆりの事なとも、おほせいたされ候へきにて候つる、とりミたしのおりふしにて候ほとに、時分をはからい申候ハんするよし、太けん申され候つる、いまのおりふしなとおほせいたされ候てしかるへく候ハんするや、いつれもよく御心え候て、つたへられ候へく候よし申とて候、かしく

「封 四つし大納言とのへ」

→豊明市史 「後奈良天皇女房奉書」(臨済寺文書)

1550(天文19)年に比定。

 駿河国と尾張国との和睦のこと。太原長老へ勅書を遣わされました。相違ないようにされましたら、お喜びになられるでしょう。御所修理のことなども仰せになるべきですが、取り乱している折なので、時機を見て取り計らいましょうと太原も言っておりました。現在の状況を仰せになり、然るべく行なうよう、各位よく心得るよう伝えるようにとのことです。

就田舎忩劇、当年御礼遅怠致迷惑候、以御次御執成本望存候、仍去六月廿四日於攝州不慮之一戦、右京大夫被失利之由候、京都之様体無心元候条、即可申上候処、三川・尾張之境、依令鉾楯緩怠候、宜預御執合候、猶重可申入候、恐々謹言
八月三日
義元(花押)

→豊明市史 「今川義元書状」(大館記所収御内所案紙背文書)

1549(天文18)年に比定。

 田舎の紛争があり、今年は御礼も遅くなって混乱しています。取次ぎによる調停は本望に思います。去る6月24日、摂津国において不慮の一戦があり右京大夫が敗戦したとのこと。京都の様子を心許なく思いますが、申し上げるのであれば三河国・尾張国との境界紛争を緩和させるよう、宜しく調停をお願いします。更に重ねて申し入れます。

二日、丙辰、晴、牟礼、飯尾長門、甘利佐州、矢部縫殿之中へ一首遣之、同牟礼贈答、

 わすれめやかゝる情の花もなを匂ふ千枝の里のかりふし 拾

 こゝもけに匂ふ千枝の花なるにかへるさいそく雲の上人 元誠

朝〓(冫+食)以後起藤枝一里、各六七騎ニ来了、二ッツカ迄来、岡部、

青嶋、藤嶋等過三里○金屋、左夜中山中程菊川、過二里三ツ坂、又過二里至懸川宿天然寺、浄土宗、則住持被出礼、湯麦吸物等ニテ一盞有之、則今井入道来、同従左京亮女中使有之、晩〓(冫+食)自城持来云々、

今朝

今川那古屋殿へ隼人遣之、太刀ニテ礼申候了、所労云々、

→静岡県史「言継卿記」(1557(弘治3)年3月記述)

 2日、丙辰、晴れ。牟礼・飯尾長門守・甘利佐渡守・矢部縫殿の面々に一首を贈る。牟礼が答える。
(和歌略)
 朝食の後藤枝郊外1里まで各々6~7騎が来ていた。岡部はニッ塚まで来た。青嶋・藤嶋などを過ぎて3里。金谷・小夜中山(中程は菊川)、2里を過ぎて三つ坂、また2里で掛川宿天然寺に至る。浄土宗で住職が挨拶に来た。湯麦吸い物などで酒席があった。今井入道が来て、同じく左京亮より女中の使いがあり、夕食は城から持ってきたという。
 今朝、今川那古屋殿へ隼人を使いに出した。太刀を贈ってお礼を申し上げた。労いを受けたという。

信州伊那郡箕輪城攻、四月十一日当国御出陣、六月十七日御帰府、降参被申含、弟御供御馬入、御合力勢駿州ヨリ三百、相州三百、

→静岡県史「歌仙板額」(山梨県大井大俣神社旧蔵)

信濃国伊那郡箕輪城を攻め、4月11日にこの国を出陣、6月17日に帰還された。降参を申し含められ、弟が共に馬を入れた。援軍は駿河国より300、相模国より300。

手負人数

天野小七郎 鑓手二ヶ所

松井二郎三郎  矢手三ヶ所

奥山小三郎  矢手壱ヶ所

大石新三郎  刀疵二ヶ所

花島三郎左衛門  矢手一ヶ所

気多清左衛門  鑓手二ヶ所

同名大郎兵衛 鑓手三ヶ所

同名新二郎 矢手壱ヶ所

松原三郎左衛門 矢手壱ヶ所

木下藤三 矢手壱ヶ所

桑原弥五郎 矢手二ヶ所

三宅左衛門大郎 矢手壱ヶ所

尾上被官 矢手壱ヶ所

花島下 矢手壱ヶ所

  中間

八郎大郎 矢手壱ヶ所

亀若 矢手壱ヶ所

右馬大郎 鑓手壱ヶ所

彦大郎 矢手二ヶ所

力者 矢手一ヶ所

九月五日

天野景泰 判

御奉行中 参

一覧印 義元判

→静岡県史「天野景泰手負人数注文写」(天野文書)

1547(天文16)年に比定。

禁制

白坂

雲興寺

一 軍勢甲乙人等濫妨狼藉之事、

一 於境内殺生并寺家門外竹木伐採、借宿事、

一 祠堂物買徳寄進田地、雖為本人子孫違乱事、

一 准総寺庵引得之地、門前棟別人夫諸役等、相懸入鑓責使事、

一 於国中、渡諸役所之事、

右当寺依為無縁所、諸役等令免許〓(己+十)、若有違犯之輩者、速可処厳科者也、仍制旨如件、

永禄元年十二月 日

信長(花押)

→愛知県史料叢刊「織田信長禁制」(雲興寺所蔵文書)

一、軍勢とその関係者が暴力行為や逸脱行為を行なうこと。
一、境内での殺生、寺院関係領地での竹木伐採、宿泊のこと。
一、祠堂物や購入・寄進された田地を、本人の子孫であるといえども侵犯すること。
一、准総寺庵が取得した土地で、門前の棟別で陣夫を課したり譴責使を送ること。
一、国内において、諸役を渡す所のこと。
 右、当寺は無縁所なので、諸役などのことは免除している。もし違反する輩があれば、速やかに厳刑に処すものである。このように布告する。

禁制

白坂

雲興寺

一 軍勢甲乙人等濫妨狼藉之事、

一 於境内殺生并寺家門外竹木以下所望付而陳執借宿之事、

一 祠堂物買徳寄進田地違乱之事、

一 准総寺庵別人夫等相懸并門前入遣責使之事、

一 飽津諸役以下造営付而免許之事、

右当寺者、依為無縁所、諸役等之儀、令免許訖、若有違犯之輩者、速可処厳科者也、仍執達如件、

弘治貮年二月 日

織田安房守

秀俊(花押)

→愛知県史料叢刊「織田秀俊禁制」(雲興寺所蔵文書)

一、軍勢とその関係者が暴力行為や逸脱行為を行なうこと。
一、境内での殺生、寺院関係領地での竹木の所望。付則として陣取り・宿泊のこと。
一、祠堂物や購入・寄進された田地を侵犯すること。
一、准総寺庵で別に陣夫を課したり門前に譴責使を送ること。
一、飽津諸役以下の造営。付則として免許のこと。
 右、当寺は無縁所なので、諸役などのことは免除している。もし違反する輩があれば、速やかに厳刑に処すものである。このように布告する。

「遠江国久津部郷之事」

右、当郷除諸給分、一円令扶助畢、息郷八郎為近習可令在府之由、尤以神妙也、但蔭山与次方岡部又次郎給分者、於国静謐之上者、以別所可充行于彼両人、其時五拾貫拾人扶持分、重而可令扶助者也、仍如件、

天文八己亥年九月晦日

治部大輔(花押)

松井兵庫助殿

→静岡県史「今川義元判物写」(土佐国蠧簡集残編三)

 遠江国久津部郷のこと。右は当郷の諸給分を除き、一円を扶助させることとする。子息郷八郎を近習として駿府に滞在されるという。とても神妙である。但し蔭山与次方の岡部又次郎の給分は、国を鎮めた上は、別の土地をもって両人に拠出する。その際50貫10人扶持の分は重ねて扶助するものとする。

 甚二郎殿別儀付而、具承候、 御屋形様并竹千代丸江忠節之事候間、甚二郎殿あとしき、無相違渡可申候、本知あいはの事ハ、只今東条殿へ被進候間、いまハなりかたく候、おつての儀たるへく候、将又うり地の事、甚二郎別儀の上ハ新地ニ成候事候間、無別儀申調可進候、如此上者、松井・山内両人ニ可任置候、委細酒井小五郎ニ申候間、諸事彼意見可被聞候、

 右、此条ゝ申合候儀、三人偽候ニ付而者、

日本国中大小神祇、別而者八幡大〓(艸+廾)・富士浅間大〓(艸+廾)・白山妙理大権現・天満自在天神御罰可罷蒙者也、仍如件、

天文廿年

十二月二日

飯豊 乗連(花押)

二近 持長(花押)

山新 景隆(花押)

松平甚太郎殿

  参

→新編岡崎市史「岡崎城代山田景隆等連署血判起請文」(観泉寺所蔵文書)

 甚二郎殿の別儀について、詳しく承りました。御屋形様(今川義元)と竹千代丸への忠節のことがありましたので、甚二郎殿の跡目は相違なく譲渡して下さい。本領の饗庭のことは、現在東条殿へ進上していますので、すぐには渡せません。追っての処理となるでしょう。さらに売った地のことは、甚二郎が別儀となった以上は新地となりますので、別儀なくこれを調整して進めて下さい。このようになりました上は、松井・山内両人に一任するでしょう。詳しくは酒井新五郎に申していますから、諸事彼の意見をお聞き下さい。
 右、この項目で申し合わせたことについて、3人が偽りを申しているのであれば、日本国中代償神祇、特に八幡大菩薩・富士浅間大菩薩・白山妙理大権現・天満自在天神の神罰を蒙るものである。