月: 2014年7月

今川氏真、鈴木源六が越後と相模の連絡をした功を賞し知行を与える

今度就錯乱、自最前当城為音信相越、殊山中方々走舞令忠節之条、甚以怡悦之至也、為其賞久野脇郷、為新知行所出置也、若雖有競望之輩、今度依忠節宛行上者、一切不可許容、守此旨、弥可抽奉公者也、依如件、 永禄十二[己巳]年 三月廿 今川氏真、鈴木源六が越後と相模の連絡をした功を賞し知行を与える

仕切り直し 新出史料

『戦国遺文 今川氏編』の完結で、鳴海原合戦関係の史料は網羅できたと考えていたのだが……そういう矢先に新展開があった。 コメント欄にお邪魔したことのあるブログ『国家鮟鱇』さんでYOMIURI ONLINEの記事「信長の父「 仕切り直し 新出史料

北条氏政、多田新十郎が薩埵山で敵夜襲を撃退したことを賞す

昨十三夜、於薩埵山、敵夜懸之刻、敵壱人針宇文六与合討、高名感悦候、弥可竭粉骨者也、仍如件、 永禄十二年[己巳] 三月十四日  (北条氏政花押) 多田新十郎とのへ →戦国遺文 今川氏編2311「北条氏政感状」(多田文書) 北条氏政、多田新十郎が薩埵山で敵夜襲を撃退したことを賞す