氏政前室の黄梅院殿
閨閥を調べていて、氏政室が謎に思えて来た。死没の経緯が不明だし、戒名が2つある。 黄梅院殿春林宗芳大禅定門 黄梅院殿智栄鳳瑞尼 上が後北条氏に伝わるもので、下は実家の武田氏の伝であるという。晴信正室の子で氏政正室でもあっ …
閨閥を調べていて、氏政室が謎に思えて来た。死没の経緯が不明だし、戒名が2つある。 黄梅院殿春林宗芳大禅定門 黄梅院殿智栄鳳瑞尼 上が後北条氏に伝わるもので、下は実家の武田氏の伝であるという。晴信正室の子で氏政正室でもあっ …
氏康の母とされる養珠院殿は北条宗哲の書状に登場する。永禄9年と比定されている、嫁入りする娘に送ったものに「座頭と親しくするものではない。養珠院様の頃はそんな事はありえなかった」と書いていた。私は、この記述に引っかかりを覚 …
氏綱継室の近衛氏について考えてみた。『北条早雲とそのー族』で、彼女の弟の年齢から、嫁した際に30歳をとうに越していたとして、多分に形式上の婚姻だったと指適している。前回も触れたが、氏綱が晴氏の外戚となるために家格向上目的 …
氏康の母は養珠院殿でほぼ確定と見てよいだろう。同母の兄弟としては、山木大方が最有力だと思う。今川貞世の系譜である堀越六郎と結婚しているし、役帳で養珠院寺領となっている伊豆国山木を領している。 古河公方の足利晴氏に嫁した芳 …
年の瀬も押し迫り、また狂躁の時節が到来した。これより如月の中頃まで生業が喧しくなる。記事も史料アップも暫時滞るだろう。だからという訳ではないが、少しくは思いつくままの書付を散らしてみようと考えた。文献の裏付けもなく脈絡も …
年来無足ニ而令奉公之間、新田領石原郷之内貮拾貫文被下候、弥厳密ニ可走廻者也、仍如件、 天正十五年[丁亥]八月二日[虎朱印]海保新左衛門 奉之 岡本越前守殿 →群馬県史 「北条家朱印状写」(安得虎子) 何年も無足で奉公し …
猪能所へ注進状披見候、助太郎相挊付而、去三日沼田東谷押替候、取出以不慮之行、打散悉放火、人馬貮百余討捕、首打捨五十余之内、鼻験八、其外分捕等ゝ紙面見得候、誠心地好面ゝ挊之所無比類次第候、則小田原へ注進状令進上候、弥境目無 …
日本史を調べる人向けの電子サービスがないものかと、少しネットを徘徊してみた。 ジャパンナレッジ 吉川弘文館の『国史大辞典WEB版』が入っている。クレジット課金で月額2,100円で膨大な量の辞典検索ができる(歴史以外の辞書 …
注進状披見、仍去十九、従館林古海へ相動候処、追崩敵数多討捕之由、誠心地好仕合候、弥無油断可相稼候、将又佐竹様ゝ悃望之間、令赦免、今日為除候、謹言、 七月廿三日 氏直(花押) 大藤式部丞殿 →群馬県史 「北条氏直感状」(東 …