今度以松斎申舟津之事、其方買得候儀、不相紛候段聞分候、然上者、以松斎くれ候屋職之絵図、同一札共出置候、殊右両度遣候免許有之上者、彼屋職中、くね・吉野共、於末代、可有知行、自然以松斎子共菟角申義雖有之、聊不可有相違者也、仍状如件、

弘治三年

霜月廿五日

武蔵守信成(花押)

加藤図書助殿

→愛知県史 資料編10「織田信成判物」(加藤文書)

 この度以松斎が言ってきた舟津のこと。あなたが買い取ったということで、紛れもなく認識しました。この上は、以松斎が譲った屋敷の絵図とその証文、特に右でどちらでも発行した免許状があるので、あの屋敷にある、くね・吉野も末代まで知行して下さい。万一以松斎の子供が何か訴訟してきたとしても、少しの相違もないものとする。

戊午 永禄元 三月十八日龍泉寺織田弾正忠城之鍬始在之、

→愛知県史 資料編10「定光寺年代記」(定光寺文書)

愛知県史では織田弾正忠を信成と比定。

今度加藤与五右衛門曲事ニ付て、急度加相成敗候、然処良正院屋敷之義、日比彼者屋敷之由、此方江条々申筋目有、依て闕所申付候ハん覚悟ニ候処、其方買徳候由、雖去懇望ニ付て、相免候上者、右之免許之任筋目、彼良正院屋敷同東之屋敷・よしの共ニ於末代、無相違可有知行者也、仍状如件、

弘治三年

八月十一日

信定(花押)

加藤図書助殿

→愛知県史 資料編10「織田信定判物」(加藤景美氏所蔵文書)

 この度の加藤与五右衛門の不祥事について、取り急ぎ処罰を加えます。そのようにしていたところ、良正院屋敷のこと、日ごろあの者の屋敷だったとのことで、こちらへ逐次言ってきた筋目があり、よって没収地として指示する覚悟でいましたが、あなたが買収したとのことで陳情がありましたので、免除とします。右の免除の主旨のとおり、良正院の屋敷と東の屋敷・吉野もともに末代まで相違のないように知行するように。

今度中嶋郡大須郷、就徳政之義、号永代、土貢・下地之事、不限年数召返、可為相計候、縦雖在免許之状、前後共ニ令棄破、可申付候、若違犯之輩在之者、速可処厳科者也、仍状如件、

天文九

十月廿日

達勝

毛利掃部助殿

一揆中

→愛知県史 資料編10「織田達勝判物写」(毛利文書)

 この度中嶋郡大須郷で徳政を行なうことについて。永代と称して、年貢・地所のことは年限なく返還します。検討して実行するように。たとえ免除の証文があったとしても、その前状・後状ともに破棄するよう指示しています。もし違反する者がいたら、速やかに厳罰に処すものとします。

「菅生 万勝寺 床下 松三 広忠」

御寺領之儀、道甫時不相替、不可有別儀者也、恐々謹言、

天文九 三月五日

広忠(花押)

→愛知県史 資料編10「松平広忠書状」(満性寺文書)

 お寺の領地のこと、松平道甫の時と替わらず、異なる事があってはならない。

急度申遣候、仍性海寺内事者、従先々諸役免許之儀候之条、今度那古野へ夫丸之儀、可相除之候、謹言、

天文七

十月九日

(織田達勝 花押)

 豊嶋隼人佐とのへ

 鎌田隼人佐とのへ

 林九郎左衛門尉とのへ

 林丹後守とのへ

→愛知県史 資料編10「織田達勝書状」(性海寺文書)

 急ぎ申し上げます。性海寺内のことは、以前より諸役を免除しているので、この度の那古野へ建築夫徴発も免除となります。

今度入国之儀忠節無比類候、然者以田地方拾五貫文宛可有加増者也、於末代不可有相違候、仍如件、

天文六十月廿三日

千代丸御花押

八国甚六殿

大窪新八郎殿

成瀬又太郎殿

大原左近右衛門尉殿

林藤助殿

→愛知県史 資料編10「松平広忠判物写」(記録御用所本古文書)

 この度入国での忠節は比類がありません。田地15貫文を宛て行ない加増とします。末代まで相違はないでしょう。