第2読目となる。この作品はディケンズの前期と後期を画するもので、彼の自叙伝的な内容となっている。主人公デイビッドをダニエル・ラドクリフが演じたDVDが、ラドクリフ主演の映画『ハリー・ポッター』に便乗して日本で発売されていた(勿論入手済み)。文庫で4巻に及ぶ長編小説を2時間にまとめるのは非常に困難なのだが、割合にうまくまとめられていた。
 
 それにしても、第1巻を読了するのに相当骨を折った……。苦労人ディケンズの自伝的小説と呼ばれるだけあって、主人公が相当の苦難に遭う。だが、両親を次々に失ったり、継父とその妹にいびり出されたりと、ディケンズ本人でもここまで苦労はしていなかったような苦難ぶり。ディケンズの父がモデルといわれるミコーバーの描写が秀逸であるのは20年前の第1読と変わらないのだが、コパフィールド少年の苦労を読むとひたすら身につまされるのには参った。恐らく、負っている経験の広さ・深さが20年前とは異なり、辛いのだと思う。中でも、スティアフォース少年がメル先生を侮辱するくだりが最も堪えた。
 経緯はこうである。継父によって寄宿学校に追いやられたデイビッドは、出迎えに来たメルという教師によって救貧院へと案内される。そこにはメルの母と友人がいた。デイビッドはそこで食事をもらって休憩し、助けてもらう。当時の救貧院は差別の対象となっており、メルは母のことを勤務先に隠していた。そこでデイビッドにも口止めをするのだが、彼は崇拝するスティアフォース少年に伝えてしまう。スティアフォースは典型的なお坊ちゃん。才能はあるのだが怠惰で、酷薄。周囲の人間は彼を礼賛するが、チラホラと裏の性格が示される。
 スティアフォースはある日、メルを侮辱して校長に救貧院の一件を告発し、学校から追い出してしまう。結局このエピソードは、主人公の忘恩・無配慮・臆病さを示しているのだが、自らのこととして振り返ると、これまでの己が行状がフラッシュバックして、捲るページの重さといったらない。
 というようなことの繰り返しで、読了が異様に遅れた。第2巻以降はもう少し気楽に読めるのかも知れないが……。

 返々南方衆ハ沼田・我妻之間中山之地取詰候、沼田一途無落着者、当表行努々有間敷候、扨亦遠州御人衆近日至于甲府御着候、為始曾下駿州衆大略甲へ御着候、可有五日内候、以上、

自兵庫殿注進候趣、具得其意候、南方衆越山之儀努々不可有之候、次ニ正月之礼儀可為如何之由候、三ヶ日之内者、何方も用心大切候、御遅延候も不苦候、可然時分相計可及御左右候、其分御人可申候、只今之儀者城内用心ニ相極候、内々之儀ハ無沙汰之様ニ候共、少も不苦候、此分異見可申候、将又小諸通用無相違様ニ堅可被申付候、御大堵其分ニ候、必々無御無沙汰様可被申候、恐々謹言、

壬極月廿八日

信蕃(黒印「続栄」)

柳沢宮内助殿 前山

→静岡県史 資料編7「依田信蕃書状」(柳沢文書)

戦国遺文でも1563(永禄6)年に比定。但し、東国では1582(天正10)年にも閏12月が存在することから、当サイトではそちらを採用する。

 繰り返しですが、南方衆(後北条方)は沼田と吾妻の間、中山に詰めています。沼田が落着しないことには、この方面の準備は絶対ありえません。ところで、遠江国の部隊が甲府に到着しました。これを先鋒として駿河国の部隊も大多数が甲斐へ到着しています。5日のうちには完了するでしょう。
 兵庫助殿より報告した内容は、詳しくその意を得ました。南方衆が越山することは絶対ないように。ついで正月の儀式をどのようにするかですが、三が日のうちは諸方に用心することが大切です。遅延しても構いません。しかるべき日程を検討してご報告下さい。そのことは御人に申しておくでしょう。直近では、城内の用心が最優先です。内々のことは報告がなくても全く構いません。このようにご意見して下さい。その一方、小諸の交通は相違ないようにとのご指示です。太守はそのような意図で、必ず報告漏れのないようにとの仰せです。

一字  真尭

永禄三 庚申年十二月廿日

氏真判

岡部小次郎殿

→静岡県史 資料編7「今川氏真一字状写」(土佐国蠧簡集残編残編三)

 藤原元綱

天文十一年二月廿二日

治部大輔義元(花押)

岡部小次郎殿

→静岡県史 資料編7「今川義元一字状」(岡部長武氏所蔵文書)

「□□小四郎殿 氏真」

遠江国犬居当知行分并宇奈代官職之事

右任先判形之旨停止他異論、如前々永不可有相違、藤秀幼少之時、同名安芸守犬居三ヶ村一円相計之旨申掠、天沢寺殿判形数通有之云々、雖藤秀知行分代官職之儀者、如父虎景時為各別所宛行也、但於有申様者、糾明之上可加下知、縦令失念同名七郎爾重判形雖出置之、於申立者不可有相違、当知行分之内於有増分者、令言上随其分量可勤其役、此外山中次之所務諸納所等、是又為新給恩一円所宛行也、若百姓等及違乱者、名職令改易、新百姓可申付、其上百姓令参府雖企訴訟、一切不可許容、守此旨弥可励忠切之状如件、

永禄五壬戌

二月廿四日

氏真(花押)

天野小四郎殿

→静岡県史 資料編7「今川氏真判物」(天野文書)

 遠江国犬居の当知行分と宇奈代官職のこと。右は先行する判形に任せて、他の異論を排除する。以前のように相違ないように。藤秀が幼少の頃、一族の安芸守が犬居3村一円を申し掠めて天沢殿判形が数通あるという。とはいえ、藤秀の知行分と代官職については、父の虎景の時のようにそれぞれ別の地所として宛行なう。ただし、申し出があるならば改めて調べた上で指示を行なう。たとえ失念して同族の七郎に再度判形を下されたとしても、申し出た者においては相違があってはならない。当知行のうちで増分があったら、報告してその分だけ役を勤めるように。このほか山中の全ての年貢は、こちらも新たな給恩として一円宛行なう。もし百姓が違反するのであれば、名職を解任し、新たな百姓を任命するように。そのことで百姓が駿府へ来て訴訟を起こしても、一切認めない。この旨を守りいよいよ忠節に励むように。

今度就于一乱、於所々無異于他走廻抽粉骨、剰住書花蔵へ被取之処、親綱取返返付畢、甚以神妙之至、無是非候、対義元子孫末代、親綱忠節無比類者也、恐々謹言、

天文五丙申

 霜月三日 義元(花押)

○紙継目、五行分余白

今度一乱已前、大上様御注書お取、花蔵へ被為参候処、葉梨城責落、御注書お取進上仕候、然間、御自筆仁而御感被下候、為子孫之注書畢、

(切封墨引)

岡部左京進殿

→静岡県史 資料編7「今川義元書状」(岡部文書)

 この度の一乱において、様々な場所で奔走して粉骨にぬきんでた。更には重書が花蔵に取られたいたものを、親綱が奪い返して返納してくれた。大変な神妙のいたりで、是非もないことだ。義元の子孫末代に至るまで、親綱の忠節には比類がないだろう。
 この度の一乱の前に、大上様(今川氏親室)が重書を持って花蔵へ参られたところ、葉梨城を攻め落とし、御重書を奪って進上しました。このことから、御自筆にて感状を下されたのです。子孫のために重書とします。

今度一乱、於当構并方上城・葉梨城、別而抽粉骨畢、甚神妙至感悦也、然間、一所有東(有度郡)福島彦太郎分、一所小柳津真金名斉藤四郎衛門分、一所勝田内柿谷篠原形部少輔分等之事、一円於子孫充行畢者、弥可抽忠功之状如件、

天文五丙申年十一月三日

義元(花押)

岡部左京進殿

→静岡県史 資料編7「今川義元判物写」(土佐国蠧簡集残編三)

 この度の一乱で、こちらの拠点と方上城・葉梨城で格別の活躍をしてくれた。大変な神妙の至りで感悦した。であるので、有度郡の福島彦太郎分を一所、小柳津真金名の斉藤四郎衛門分を一所、勝田内柿谷の篠原刑部少輔分など、一円を子孫まで宛行なうものである。いよいよ忠功にぬきんでるように。

駿河国入江庄之内和矢部朝比奈弥次郎方之事

右、依致朝夕奉公、為本領宛行所也者、守先例可成敗状、仍而如件、

明応五年六月八日

五郎(花押)

岡部左京進殿

→静岡県史 資料編7「今川氏親判物写」(能勢文書)

 駿河国入江荘内の和(北?)矢部の朝比奈弥次郎方のこと。右は、朝夕に奉公したことにより本領として宛行なうものである。先例を守り成敗するように。

参州吉田之郷戸田主殿助同心中条又助給恩地十五貫文之事

右、百姓吉田九郎左衛門彼員数近年令隠田、三貫文致蔵入、其外私曲之旨申之条、去年以印判申付候処、難渋之由、太以曲事也、然者彼田地請取之、参貫文者如近年令蔵入、十二貫文者為給恩令扶助之条、令同心于主殿助、陣番奉公相勤、近年九郎左衛門令私曲分、令勘定可請之、若又主殿助同心於相離者、別人仁可申付者也、仍如件、

永禄五壬戌年九月朔日 上総介判

及部六郎左衛門とのへ

→静岡県史 資料編7「今川氏真書状」(関沢文書)

 三河国吉田郷で、戸田主殿助同心である中条又助の給恩地15貫文のこと。右は、百姓の吉田九郎左衛門は近年隠田を保有し、3貫文を蔵入とした。その他勝手なことを言っていたので、去年印判で通達していたところ、納付を遅らせたとのこと。大変宜しくない。であるから、あの田地は召し上げることとし、3貫文は近年と同じく蔵入とさせる。12貫文は給恩として扶助させる。主殿助の同心として陣番の奉公を勤め、近年の九郎左衛門が横領したものは算出して領収するように。もし主殿助同心が離れてしまうなら、別の人間を充てること。

糊付之御状披見、得心申候、同者此度討つふし候ニ極候、恐々謹言、

九月八日

氏直(花押)

安房守殿

→小田原市史「北条氏直書状写」(武蔵古文書一)

1588(天正16)年に比定。

 糊で封印された書状を拝見。心得ました。同じく、今回討ち潰すに限ります。