松平信忠の娘しんさう、たいよに三河国下仁木の田地を寄進する
きしん申候したち、下仁木ふるかわふんはなけのた二たん、三郎殿に申、たうほの御ためにきしん申候、かのしたにおき候て、永代きしん申候間、申事あるましく候、そのためニ一ふてまいらせ候、 しんさう(黒印) 御つかいちん一郎殿 て …
きしん申候したち、下仁木ふるかわふんはなけのた二たん、三郎殿に申、たうほの御ためにきしん申候、かのしたにおき候て、永代きしん申候間、申事あるましく候、そのためニ一ふてまいらせ候、 しんさう(黒印) 御つかいちん一郎殿 て …
(端裏書)「松平左近蔵人殿寄進状 当寺八代之内 宝誉」 寄進状之事 右、為逆修、町田[弐反壱石]并藤[弐斗五升]、合五俵成之分、永代寄進申候、於子々孫々、不可有違乱者也、仍如件、 天文十一年[ミつのへ寅] 六月日 松平 …
道甫十三廻為孝養、御寺近所ニ候以真如寺領内参十貫目、永代寄進候、従此内公方年貢、大門築田方へ従御寺弐貫五百五十文可有御納所候、但依其年躰、けんミ可為次第候、田畠小日記別紙有之、作人者誰々雖○被官、被召放、御寺之可為御計候 …
「三後彦次良光定応仁参年」 ■■■ ■一屋敷 在所道場之跡 ■■■■■■■ (西方者万代三百文目) 茶園共、 右、寄進申候条、為身後■置申候、若於子孫遣乱煩申者、於此寄進之面可■■沙汰候、次所ゝ村人之中よりも不可有遣乱候 …
「奉寄 鶴岡八幡宮」 相模国東大友半分 松田左衛門尉跡、 事 右、為当社領、所令寄附之状如件、 寛正三年十二月廿一日 左馬頭源朝臣(花押) →鎌倉市史 史料編「堀越御所 足利政知 寄進状」(鶴岡八幡宮文書) 鶴岡八幡宮へ …
為慶中周讃禅定尼毎日霊供 楞厳寺江附置申下地田之事 合壱所者 坪ハ深見苅屋百姓友三郎 散田之内、せまち参十四・東五十弐間・南参十六間・西参十三間・北六十間、是ハ以壱間尺杖、四方合百八十一間在之 右彼田之土代壱貫文目、 …
小垣江蔵屋敷之事、明眼寺為寺中 永代奉寄進候、不入ニ申合候間、諸役并陣取狼藉之儀不可有之者也、仍為後日寄進之状如件 天文拾四年乙巳三月十五日 水野藤九郎 守忠(花押) 明眼寺 参 →新編東浦町誌「水野藤九郎守忠寄進状 …