きしん申候したち、下仁木ふるかわふんはなけのた二たん、三郎殿に申、たうほの御ためにきしん申候、かのしたにおき候て、永代きしん申候間、申事あるましく候、そのためニ一ふてまいらせ候、

しんさう(黒印)

御つかいちん一郎殿

てんふん十一年[ミつのへとら]九月廿日

たいよ まいる

→愛知県史 資料編10「しんさう寄進状」(大樹寺文書)

 寄進いたしました下地、下仁木古川分『はなけ』の田2反ですが、三郎殿に申し上げて、道甫のために寄進いたします。あの下地においては永代寄進いたしますので、異議はありませんように。そのために一筆お出しします。

(端裏書)「松平左近蔵人殿寄進状 当寺八代之内 宝誉」

 寄進状之事

右、為逆修、町田[弐反壱石]并藤[弐斗五升]、合五俵成之分、永代寄進申候、於子々孫々、不可有違乱者也、仍如件、

天文十一年[ミつのへ寅] 六月日

松平蔵人佐 信孝(花押)

「寄進状」

大樹寺

→愛知県史 資料編10「松平信孝寄進状」(大樹寺文書)

 寄進状のこと。逆修のため、町田(2反1石)並びに藤(2斗5升)の合わせて5俵分の収穫を永代で寄進いたします。子々孫々において異議のないように。

道甫十三廻為孝養、御寺近所ニ候以真如寺領内参十貫目、永代寄進候、従此内公方年貢、大門築田方へ従御寺弐貫五百五十文可有御納所候、但依其年躰、けんミ可為次第候、田畠小日記別紙有之、作人者誰々雖○被官、被召放、御寺之可為御計候、於子々孫々、聊不可有違乱者也、仍末代之証状如件、

天文十六年丁未十二月五日 岡崎三郎 広忠(花押)

大樹寺 参

(裏書)「鎮誉(花押)」

→愛知県史 資料編10「松平広忠寄進状」(大樹寺文書)

 道甫の13回忌で、お寺の近所にある真如寺領内から30貫目を永代で寄進します。このうちより公方年貢を大門築田方へ、お寺より2貫550文を納付なさって下さい。寺ばかりとするべきなのは、子々孫々において、いささかの違反もないように。末代への証としてこのようにする。

「三後彦次良光定応仁参年」

■■■

■一屋敷 在所道場之跡

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(西方者万代三百文目)

茶園共、

右、寄進申候条、為身後■置申候、若於子孫遣乱煩申者、於此寄進之面可■■沙汰候、次所ゝ村人之中よりも不可有遣乱候、仍為後日寄進状旨如件、

■仁参年癸己六月十二日 本宿■■

 成就■■

→新編岡崎市史「(伝)三後光定畠・屋敷寄進状」(安心院文書)

 一、屋敷 在所道場の跡(西は万代300文目) 茶園含む
 右は寄進いたします。後々のため書面として申し置きます。もし子孫が違反して煩わすことがあれば、この書面をもって対処して下さい。次に諸所の村人からも違反することのないように。後日のため寄進状に記載します。

欠字部分は『成瀬氏系図附録 乾』所収の本文所写から補う。

「奉寄 鶴岡八幡宮」

相模国東大友半分 松田左衛門尉跡、 事

右、為当社領、所令寄附之状如件、

寛正三年十二月廿一日

左馬頭源朝臣(花押)

→鎌倉市史 史料編「堀越御所 足利政知 寄進状」(鶴岡八幡宮文書)

鶴岡八幡宮への寄進を奉る。相模国の東大友半分(松田左衛門尉の跡地)。右をこの社領として寄附する。

為慶中周讃禅定尼毎日霊供

楞厳寺江附置申下地田之事

 合壱所者 坪ハ深見苅屋百姓友三郎

 散田之内、せまち参十四・東五十弐間・南参十六間・西参十三間・北六十間、是ハ以壱間尺杖、四方合百八十一間在之

右彼田之土代壱貫文目、然ハ毎年石職壱石にて候お、以苅屋郷一舛、延米壱斗六舛ともニ合壱石壱斗六舛宛可有御納候、従大永四年甲申年之石米進之候、於彼田末代無懈怠石米可有御納候、小作之儀、神谷豊後守・丹羽五郎左衛門尉両人ニ申付候、仍為後日状若件

大永五年 乙酉

弐月彼岸日

水野和泉守

近守(花押・朱印)

楞厳寺 参

→東浦町誌「水野和泉守寄進状」

 慶中周讃禅定尼への毎日の霊供として、楞厳寺へ所属させる地田のこと。一箇所目、坪は深見刈谷の百姓友三郎。散田のうち瀬町が34(間)、東52間、南36間、西33間、北60間、これは1間尺杖を用いています。四方合わせて181間あります。右の田は地価1貫文目、しからば毎年課税は1石であるものを、刈谷郷の1枡を以て延べで米1斗6枡、ともに合わせて1石1斗6枡宛となるのでお納め下さい。1524(大永4)甲申年よりこの石米を進呈します。あの田は末代まで怠ることなく石米を納めます。小作人のことは、神谷豊後守・丹羽五郎左衛門尉の二人に申し付けています。よって後日のためこのように書状とします。

小垣江蔵屋敷之事、明眼寺為寺中 永代奉寄進候、不入ニ申合候間、諸役并陣取狼藉之儀不可有之者也、仍為後日寄進之状如件

天文拾四年乙巳三月十五日

水野藤九郎

 守忠(花押)

明眼寺

 参

→新編東浦町誌「水野藤九郎守忠寄進状」(妙源寺所蔵)

 小垣江の蔵屋敷の件ですが、明眼寺の領域内として、永代寄進いたします。不入の地となりますので、諸々の徴収や駐屯・乱暴は認めません。後日のため、寄進状をこのように発行します。

妙源寺は真宗高田派。鎌倉街道近くの桑子(岡崎市大和町)にある。