月: 2012年9月

松田憲秀、山口郷左衛門に、前橋合戦の戦功を賞し所領を宛て行なう

定 一、此度滝川左近将監与於上州前橋合戦之刻、父子前登進敵ト戦大勢ヲ追崩、殊ニ首取候事、又無比類働一人当千也、此度勧賞、相州愛甲郡於奈良沢郷弐百貫文之所宛行者也、仍如件、 天正十年[壬午]  発仙 奉之 七月廿三日 山口 松田憲秀、山口郷左衛門に、前橋合戦の戦功を賞し所領を宛て行なう

究極の難文書 地名考察

史料を何度も見ているうち、最初の解釈の通りではないかも知れないと気づいた。 何方之押ニ候哉、  まず氏政はここで質問している。「押」というのは部隊を繰り出す部分を指す。この質問と文末「乍次申候」から考えて、出撃地点の決定 究極の難文書 地名考察

北条氏政、原胤栄に、自身が甲斐国に侵攻する予定を伝え増援を要請する

去七日甲州至于■■子、氏直打詰候、敵新府之要害をかた取、切所当前打向候間、当日無一戦候、定而被立越人数可有直覧候条、不能具候、 一、此度者当家之是非迄候、於彼表無勝利者、滅亡之外有間敷候、過塩味間敷候、 一、当日ニ可戦無 北条氏政、原胤栄に、自身が甲斐国に侵攻する予定を伝え増援を要請する

究極の難文書 範囲の限定

前回の問題提起で、以下の謎を出してみた。 1)文中で氏政から偏諱を受けようとしているのは誰か? 2)氏政に書付を送った斎藤とは誰か? 3)この文書はどこで書かれたのか? 4)この文書はいつ書かれたのか?  ここで『後北条 究極の難文書 範囲の限定

北条氏邦、宇津木氏久の妻に人質の提出と総社衆の取りまとめを依頼する

[竪切紙]彼者つけ口上、いさいきゝとゝけ候、こゝもと、御ちんのうちハ、ゆふまた[しん]人しちをとられへく候あひた、いたしそこなわれて候てハ如何存候、こゝもと御馬ひけ候ハゝ、まやはし衆ハ、大小かけをち申へく候間、其方ものを 北条氏邦、宇津木氏久の妻に人質の提出と総社衆の取りまとめを依頼する

究極の難文書 問題編

このサイトでも度々紹介した鴨川氏の『武田信玄と勝頼』では、1通の複雑な書状を巡る謎を追う中で、古文書の基本的な機能を語る手法を使っている。それにあやかる訳ではないが、先日後北条氏での究極の難文書と思えるものに出会った。そ 究極の難文書 問題編

後北条氏、北条氏光に、足柄城番の着任に当たり指示を下す

足柄当番之事 一、役者者、従已前如定来、番帳を御覧被相定尤候事、 一、諸法度此已前ニ不可替歟、番帳を御覧有勘弁、御仕置尤候事、 一、改而山之法度を申付候、猪鼻ニ一枚、小足柄ニ一枚有之、彼文言能ゝ有披見、手堅可有■知候、然 後北条氏、北条氏光に、足柄城番の着任に当たり指示を下す