態音問殊種ゝ到来賞翫無他候、仍於自今已後、別而可被相談之趣被顕紙面候、先以祝着候、信州境近所之事候条、於晴信も無等閑可申通候、次遠山被致出仕候間、涯分加懇切候、是又可被為心安候、委曲可有彼口上候、恐々謹言、

十一月廿六日

晴信(花押)

天野安芸守殿

→戦国遺文 今川氏編1175「武田晴信書状」(東京大学史料編纂所所蔵天野文書)

1554(天文23)年に比定。

 折り入ってのご連絡、ことに様々な贈り物をいただき賞翫するほかありませんでした。これ以降は、特別にご連絡いただけることを紙面で確認しました。まずもって祝着です。信濃国境から程近いこともあり、晴信も等閑にすることなくご連絡するでしょう。次いで遠山が出仕されたので、できるだけ親身になります。これもまた心安くお考え下さい。詳しくは使いの者が口頭で申し上げます。

雖未相談候、乍聊爾令啓候、自今以後者、互可被相通事、可為快意候、為其態越飛脚候、仍黄金弐越之候、委細彼口申付候、恐々謹言、

十一月十七日

晴信 御判

天野安芸守殿

同 小四郎殿

→戦国遺文 武田氏編1 「武田晴信書状写」(静岡県春野町・天野家文書)

 未だお話しておりませんでした。突然失礼ですが、ご挨拶申し上げます。これより以降は、互いに書状を交わすことができたら幸いです。そのために折り入って飛脚を派遣しました。黄金2両をお贈りします。詳しくは彼に口頭で申し上げさせます。

 追而、先日調候井口へ之書状、早々可被遣歟、

大島へ之注進上披読、如文章者、従井口相揺之由候、因茲其元之備無心元候、雖然大井徒就相揺者、定而急度可引退候哉、其上之行、各遂談合、無聊爾様ニ備専用ニ候、毎事無表裏可被申談候、自何伊那郡衆更不見届人数ニ候条、悉皆肝煎不可有油断候、猶相替儀、急度注進待入候、恐々謹言、

八月十八日

晴信(花押)

秋山善右衛門尉殿

室住豊後守殿

→戦国遺文 武田氏編1 「武田晴信書状」(東京都・吉田家文書)

 大島への報告を読みました。記述によれば、井ノ口(稲葉山)から揺さぶりがありそうとのこと。そうであればそちらの防備が不安です。とはいえ大井から牽制があれば、きっと急いで撤収するのではありませんか? その手立てを各自打ち合わせて下さい。いい加減なことをせず防備に専念して下さい。常に裏表なく意思疎通して下さいますよう。何より伊那郡の衆はしっかり見届けていない軍勢ですから、しっかり監督して油断ないように。なお交代のことは必ず報告しますから待って下さい。
 追伸:先日預けた井ノ口への書状は早々に送ったでしょうか?

※室住豊後守の実名は虎光。大島は松川町を指す。

先度者陣中江御使本望候、仍雖不思召寄申事候、大鷹所望候、誰々就所持者、御調法候而、可被懸御意候、猶埴原新右衛門尉可申候、恐々謹言、

十一月廿三日

信長(花押)

秋山善右衛門尉殿

    御宿所

→戦国遺文 武田氏編6 「織田信長書状」(新見家文書)

 先だっては陣中に使者を送っていただき本望でした。思し召しに添わない申し事ではありますが、大鷹を所望しています。誰が持っているにせよ巧みに調整して、お心に添えるよういたします。更に埴原新右衛門尉が申し上げます。

※秋山善右衛門尉は武田晴信家臣。虎繁・伯耆守。『織田信長文書の研究』では、信長花押の形状より1558(永禄元)年を推定。

山口孫八郎後家子共事、其方依理被申候、国安堵之義、令宥免之上者、有所事、何方にても後家可任存分候、猶両人可申候、恐々謹言、

十月廿日

信長(花押)

加藤図書助殿

進之候、

→織田信長文書の研究(上) 「織田信長書状」(加藤景美氏文書)

山口孫八郎の妻(後家)と子供のこと、あなたが事情を説明したので、国の安堵として許します。住む場所は後家の思うようにしてもよいでしょう。さらに両人が申します。

※花押より1554(天文23)年と比定。

笠寺別当職備後守任判形之旨、御知行分参銭・開帳、寺山、寺中御計之上者、雖誰々申掠候、不可有相違者也、仍如件、

天文拾九

十二月廿三日

信長(花押)

座主

 床下

→織田信長文書の研究(上) 「織田信長判物」(尾張密蔵院文書)

 笠寺の別当職は備後守の判形のとおりである。知行分の参銭開帳、寺の山と寺領を取り図った上は、掠め取るような申請があったとしても、相違はない。

去三月、織田上総介荒河江相動之処、於野馬原遂一戦、頸一討捕之神妙也、度々粉骨感悦也、猶可励忠節者也、仍如件、

弘治弐年

九月四日

義元(花押)

松井左近尉殿

→静岡県史資料編7 「今川義元感状」(東条松平文書)

 去る3月、織田上総介が荒河(吉良/富貴?)に出撃した際、野馬原(野間原/野寺原?)で一戦を遂げて首級を1つ挙げたのは神妙である。度々の粉骨に感悦している。更に忠節に励むように。

就内宮可有御造替、御用脚之儀御屋形江申由候、先以目出候、然者今度外宮巡番ニ相当之条、縦雖従内宮被申候、先之致相拘候者、神慮尤可然候、 叡慮・上意被仰合筋目候、為御心得申入候、京都御沙汰次第重而自是御左右可申候、恐々謹言、

六月九日

備彦

雪斎和尚 侍衣閣下

→静岡県史 資料編8 中世四 付録1 「度会備彦書状写」(外宮天文引付)

 内宮の改築について。費用明細が屋形(今川義元)に申請されたそうで、まずはめでたいことです。今度は外宮の順番ですので、たとえ内宮から申請があったとしても、こちらからかかっていただくのが神慮にも適うことです。天皇の叡慮、将軍の上意にも合致する筋目ですから、お心得いただけるよう申し上げます。京都の決定があり次第、更にこちらから状況をお知らせいただします。

(今川氏真花押)

分国中門前勧進之事

右、任先判形之旨、発起次第可被勧之由、領掌不可有相違者也、仍如件、

永禄元年 戊午

十月十七日

熊野新宮

  庵主

→静岡県史資料編7 「今川氏真判物」(梅本文書)

 分国中の門前での勧進について。右は前の判形に従って、発起してこれを勧めるとのことを承認し相違ないように。

(今川義元花押)

分国中門別勧進之事

右、只今之事者、参州出軍之条、於静謐之上、発起次第可被勧之旨領掌了、仍如件、

弘治二年

二月廿九日

熊野新宮庵主

→静岡県史資料編7 「今川義元判物」(梅本文書)

 分国中で門別での勧進を行なうことについて。右は、現在三河国に軍を出しているので、それが鎮まったところで、発起してこれを勧めることを了承する。