コンテンツにスキップ

月別アーカイブ: 10月, 2011

もう1人の竹王丸

竹王丸というと、1533(天文2)年7月に山科言継が尾張国で出会った今川竹王丸が有名である。俗に『氏豊』とも呼ばれる人物は、その後姿を消す。 今川本家が嫡男に用いる幼名は竜王丸(たつおうまる)。「たけおうまる」はこの読み …

北条氏康、太田次郎左衛門尉・恒岡弾正忠に、太田家中の者が葛西の敵方へ走らぬよう、警戒させる

葛西へ敵動ニ付而、新六郎敵陣へ移由候、家中儀一段無心元候、寄子・加世者事不及申、中間・小者迄相改、葛西へ不紛入様可申付候、若又其地江敵動候者、為始両人悉妻子を孫二郎ニ相渡、中城江入候て、可走廻候、先忠此時候、恐々謹言、 …

空白の桶狭間

余りに考証がひどい小説を読んだので、記録しておこうと思う。本来小説は文学として表現されているもので、厳密な史料批判を行なうべき対象ではない。それは承知しているものの、今回取り上げる『空白の桶狭間』(加藤廣著・新潮文庫)で …

着到状の変容

日頃目にしない鎌倉~南北朝の資料を見た際に「着到状」が後北条のそれと激しく乖離していたため、少し考え込んでしまった。 判り易く説明すると以下のような流れになる。 ■鎌倉~南北朝 部将「ただいま部隊が加わった。これが着到状 …