織田信長、大森平衛門尉に当所と守山間の自由通行を保障する
智多郡并篠島商人当所守山往反事、国質・郷質・所質并前々喧嘩、或如何様之雖有宿意之儀、不可違乱候、然者不可致敵味方者也、仍状如件、 天文廿壱 信長(花押) 大森平右衛門尉殿 →愛知県史 資料編10「織田信長判物写」(古今消 …
智多郡并篠島商人当所守山往反事、国質・郷質・所質并前々喧嘩、或如何様之雖有宿意之儀、不可違乱候、然者不可致敵味方者也、仍状如件、 天文廿壱 信長(花押) 大森平右衛門尉殿 →愛知県史 資料編10「織田信長判物写」(古今消 …
一就当国与岡崎鉾楯之儀、関東之通路不合期之条、不可然候、閣是非早速令和睦者、可為至妙候、委細三条大納言并文次軒可演説候、猶信孝可申候、穴賢 正月廿日 足利義輝花押 今川上総介殿 あなたの国と岡崎が戦闘状態にある件ですが …
翰札披読、長々其府滞留御辛労察入候、対氏真無等閑趣被申述、同氏真同意被聞届候者、早々御帰国簡要候、恐々謹言、 六月廿三日 信玄 幡竜斎 →戦国遺文 武田氏編「武田信玄書状」(内閣文庫所蔵「諸州古文書」四上」) お手紙読 …
丸子宿伝馬の事 右、公方荷物の事は、壱里拾銭を除き、その外の伝馬壱里拾銭取るべき旨、先年相定むる処、事を左右に寄せて相紛ると云々。然る間、自余に相替はり、余慶の地無き為により、当宿怠退に及ぶの旨、只今訴訟を企つ条、向後に …
ちくま文庫、北川悌二訳。この作品は結構苦手で、一読はしているがその後3回ほど読みかけで放置していた。ネルへの感情移入ができないので、現在でも読んでいてしんどい。ネルは自業自得だと思ってしまう。恐らく、私には「肉親のため …
1559(永禄2)年 四月十五日大氷降。十二月七日ニ大雨降。俄ニ雪シロ水出テ。法ケ堂悉皆流レ申候。又在家ノ事ハ中村マルク流シ候無限。 4月15日に大きな氷が降った。12月7日に大雨が降った。急に『雪シロ水』(雪解け水か …
当郷年来陳夫之を相勤むと雖も、刈屋陳の刻、百性等困窮に就いて逐電に及ぶの上、陳夫一円免許たるの旨申すの間、今度奉行人仁相尋ぬるの処、歴然たる由申すの条、儀に任せ、向後一切免許し畢。殊に材木以下別して奉公せしむるにより、自 …
当知行之内、北矢部并三吉名之事 右父玄忠隠居分、先年分渡云々、然者玄忠一世之後者、元信可為計、若弟共彼隠居分付嘱之由、雖企訴訟、既為還付之地之条、競望一切不可許容、并弟両人割分事、元信有子細、近年中絶之刻、雖出判形、年来 …
大高城が5月19日の合戦の焦点になるかもしれない。というのも、尾張国内に侵攻してからずっと、今川軍の大きな作戦目標に「大高への補給」という焦点があったからだ。具体的に検証すると以下のようになる。 鵜殿氏→1560(永禄 …
去年十一月十九日、去五月十九日於尾州大高口、両度合戦之時、太刀打被鑓疵三カ所云云、無比類働尤神妙候、弥可抽戦功者也、仍如件、 六月十二日 氏真 判 鵜殿十郎三郎殿 →戦国遺文 今川氏編1546「今川氏真感状写」(鵜殿系図 …