月: 2014年6月

検証a35:厳島合戦の実態

戦国時代の合戦で『桶狭間』と並んで著名なのが『厳島』だ。どちらも通説では共通点がある。 ■敗者は数箇国を領し圧倒的に兵数で有利だとされている ■有利な兵数による驕りと悪天候が敗因になっている ■勝者側に感状が残っていない 検証a35:厳島合戦の実態

北条氏政、井出甚助が上野筋で敵2名を討ち取ったことを賞す

正月以来度々竭粉骨、去二日於上野筋敵二人討捕候、高名之至感悦候、氏真御本意之上申立可加忠賞者也、仍如件、 永禄十二年[己巳] 三月八日  氏政(花押) 井出甚助殿 →戦国遺文 今川氏編2308「北条氏政感状」(井出文書) 北条氏政、井出甚助が上野筋で敵2名を討ち取ったことを賞す

検証a34:大将の戦死例

鳴海原合戦での最大の謎は、総大将義元の敗死にあるだろう。類似例がないか、その他同時代で発生した『総大将』の戦死例を見てみよう。下記は厳密な史料に基づいたものではなく、通説やWikipediaなども参考にしているのでご諒解 検証a34:大将の戦死例

今川氏真、潜井善右衛門に、西郷・天王での活躍を賞す

去年十二月廿八日午刻、於西郷之構押入鑓走廻、剰去正月廿八日午刻、於懸河天王社路、最前合鑓菅沼美濃お衝伏、其上令刀切蒙鑓手二ケ所之段、粉骨之至也、本意之上、可加扶助之条、守此旨、弥可抽軍忠者也、仍如件、 永禄十二己巳 二月 今川氏真、潜井善右衛門に、西郷・天王での活躍を賞す

今川氏真、鱸尉に、山中筋での活躍を賞し、森の大田郷を与える

就今度錯乱、山中筋無別条走回之段、喜悦之至也、然間為其賞、遠州森之内大田郷百疋之所、為新知行宛行也、雖有競望之族、依今度忠節出置上者、一切不可許容、守此旨弥可抽忠功者也、仍如件、 永禄十二[己巳] 二月廿六日  氏真判 今川氏真、鱸尉に、山中筋での活躍を賞し、森の大田郷を与える

山県昌景、酒井忠次に、掛川攻囲の様子を訊き、駿河衆の叛乱について語る

今廿三日下条志摩守罷帰、如申者、向懸川取出之地二ケ所被築、重而四ケ所可有御普請之旨候、至其儀者、懸川落居必然候、当陣之事、山半帰路以後、弥敵陣之往復被相留候之条、相軍敗北可為近日候、可御心安候、随而上野介・朝比奈駿河守・ 山県昌景、酒井忠次に、掛川攻囲の様子を訊き、駿河衆の叛乱について語る