月: 2011年1月

2人の義氏

鎌倉期と戦国末期に、2人の足利義氏が存在していた。それぞれが足利家の始点と終点を体現しており、『義氏』とはある意味究極の名前であることを示していた。 足利氏は、もともとは上野国在地の源氏に過ぎなかった。ところが、鎌倉政権 2人の義氏

織田信秀、尾張国熱田の加藤延隆に、商売上の特権を与える

就商買儀、徳政・要脚・国役・年記并永代買得田畠・浜野以下之事、雖為或売主闕所或退転、達勝免許之御判形相調遣上者、任其旨、於此方、於末代、不可有相違者也、自然如此免許令破棄、雖申付、聊不可有相違者也、仍状如件、 天文八 三 織田信秀、尾張国熱田の加藤延隆に、商売上の特権を与える

然而 補記

明智光秀書状写 に「然而」があるが、引用元の『証言 本能寺の変』でこれを逆説としている。当サイトの用語解説然而で、逆接の用法は辞書に見られるのみで掲出文書に見られないことから、その存在に疑義を呈していた。よい機会なので藤 然而 補記

月代とお歯黒と烏帽子と

最近の戦国物のゲーム・ドラマを観ていると、大名なのに身なりが異常な人間が常態になりつつある。現代風の髪型と面貌で、着衣は辛うじて昔風という 😯 各種史料が揃って、本格的な歴史研究が進んでいる昨今に逆行するようで不思議な現 月代とお歯黒と烏帽子と

北条氏照、星名氏・松田氏に渡河時の留意点を通知する

(別紙、異筆)「星名小隼人・松田大隈相備之砌、為後鑑、此条目大隈へ被相渡候」 就越河仕置条々 一明日廿五越河手次、別紙ニ進候、 一小旗之儀者、一手之まとい之間、物主之小旗一本、可被為張候、武具之儀者、何もさせゝらるへく候 北条氏照、星名氏・松田氏に渡河時の留意点を通知する

篠原城探訪

新横浜駅から歩いて5分程度の丘に存在する、小規模な城跡。小机城と関係すると見られている。新横浜駅の篠原口から出て、東海道新幹線の線路に沿って東京方面に歩く。間もなく右手に下の山が見えたら行き過ぎなので、もう1つ下の写真に 篠原城探訪

どこからがマニアなのか

以前テレビ番組で、城が好きな芸人が「こいつ、天守閣を見たら何城か判るんだって 😯 」と揶揄されていた。そしていきなりクイズが出た。表示される天守閣を見て城の名前を当てろということだったが、モニターに出てきたのは熊本城。ど どこからがマニアなのか