松田直秀、長泉院に禁制を与える
一、於当寺中、殺生不可致之事、 一、山中江木草取之儀、本道計可致往覆、若致脇道、枝木之一本も伐取候者、可処罪科事、 一、板屋ヶ窪壱貫五百文之所、如先規寄進申候事、 付、諸役不可有之候事、 右条ゝ、申定所、仍如件、 天正 …
一、於当寺中、殺生不可致之事、 一、山中江木草取之儀、本道計可致往覆、若致脇道、枝木之一本も伐取候者、可処罪科事、 一、板屋ヶ窪壱貫五百文之所、如先規寄進申候事、 付、諸役不可有之候事、 右条ゝ、申定所、仍如件、 天正 …
猶以近年ハたかいに等閑之様ニ候、此上者引かいられ可仰蒙候、我ゝも兼而貴所江於細事之儀もいこん無之、いかさま以■可申、以上、 蒔田所迄先日内意委細承届候キ、然処ニ向後我ゝふさた有間敷之段、せいし以仰候、誠以祝着よし様もなく …
就貴所乃御身上之儀、自岡田新八郎殿被仰越候、其郡之儀者、未何方へも不相定候間、先其地ニ有之、御世上見合尤ニ候、何方よりも六ケ敷申候由、早ゝ御注進所仰候、御国竝之儀候間、内ゝ御他国仕度候御心懸候て尤ニ候、御荷物已下、少障り …
別て炎天時分御辛労無申計候、次黒田官兵様へ心得て可有、於小田原之万ゝ御取籠付て委細不申遂候、此返御心得所仰候、 内ゝ御床敷存幸便之間一筆令申候、其已来者遠路故給音問所存外候、小田原御立之時分者御暇乞不申候、奥へ御供之由、 …
「[切封墨引]岡田新■■ 利世 小幡兵衛尉殿 人々御中」 当城を六月七日両日相尋候へハ、はや其方へ御越候由候、不懸御目御残多存知候、彦三様より貴所様之事内ゝ心懸申候へて被仰越候条、小田原へ取寄候時分より、いかなるつてニて …
今度高天神之一陣契約相整、令大慶訖、就中申談意趣被及同心満足候、依之為労芳志、刀一腰岩切丸贈之、猶期後音候、 天正八年八月十六日 御判 笠原新六郎殿 →戦国遺文 後北条氏編4490「徳川家康書状写」(紀州藩家中系譜) …
鎌倉山内蔭山屋敷、御大途之御証文ニ自分之一札指添、被売渡筋目、紙面一ゝ見届上、無相違候、以上、 子 十一月十五日 左馬助(花押) 肥田越中守殿 →戦国遺文 後北条氏編3389「松田直秀証状」(神奈川県立博物館所蔵帰源院 …
鎌倉山内蔭山屋敷、大途之 御証文ニ自分之一札指添、被売渡筋目、紙面見届上、無異儀候、以上、 子 十一月十五日 尾張守(花押) 肥田越中守殿 →戦国遺文 後北条氏編3388「松田憲秀証状」(雲頂庵文書) 天正16年に比定 …
於貴国当時珍物候鱈三懸送給候、云遠来、云芳志、賞翫不少候、仍北条氏政家臣松田尾張守二男笠原新六郎、豆州戸倉在城、不慮属当手励忠勤候之条、彼国大半属本意候、然者、小田原衆令出勢候之間、当口出馬、去廿日、至敵陣前乗懸、無二可 …
尚以、余人御扶持被成候も同前之儀候間、彼両人被召出候様ニ御取合頼入存候、殊前々御証拠をも両人ニ被下候由候間、左様之儀も御取成尤候、 其地へ御陣被替之由、於府中ニ承候、仍朝比奈又蔵・三浦十左衛門尉罷退候而、如前々被召返候様 …