天文三年[甲午]六月廿二[午剋]、就動乱、堂塔已上九炎焼、

 焼手松平之二郎三郎殿、当国住人、

→愛知県史 資料編10「八講諜裏書」(猿投神社文書)

今度為一木散在青山申懸候、嶋方并所々事、遂糾明、如先々由申上者、当寺納分、於末代無相違、可有御知行候也、仍状如件、

天文■

 十二月■六日

織田三郎信秀(花押)

妙興寺

→愛知県史 資料編10「織田信秀判物」(妙興寺文書)

天文2年に比定。

 この度一木散在で青山が主張しましたが、嶋方とその他地所のこと、調査を行ないました。以前に申し上げたように、当寺に納める分は末代まで相違ありません。ご知行なさって下さい。

木全小三郎方へ之御折紙、巨細拝見申候、仍我等致知行候一木散在を御押候由承候、去年之儀ハ嶋一郡を我等ニくれ候へ、替之地を渡候はんよし、三郎申候間、致同心事候、自余之所を被押置候、不及覚悟候、此上無躰を被懸仰候ハゝ、我等も寺領お押可申候哉、何時も可被仰子細候者、此方へなり共御上候て、可被相果候、重而之致仰事有間敷候、恐々謹言、

青山余三左衛門尉

八月十一日

妙興寺納所

 御返報

→愛知県史 資料編10「青山余三左衛門尉書状」(妙興寺文書)

天文2年に比定。

 木全小三郎へ送られた折紙、詳しく拝見しました。さて、私が知行する一木散在を不法占拠とご指摘されているようですが、去る年に嶋一郡を私は拝領しました際、代替地を渡すと三郎が言ってきましたので、同意したのです。いかなる地所も占拠した覚えはありません。この上にご無理を申されるのでしたら、私は寺の領地を占拠したことになってしまうのでしょうか。いつでも詳細をお知らせ下さい。こちらにお越しいただいて、重ねて苦情を寄せることのないように決着をつけましょう。

きしん申候したち、下仁木ふるかわふんはなけのた二たん、三郎殿に申、たうほの御ためにきしん申候、かのしたにおき候て、永代きしん申候間、申事あるましく候、そのためニ一ふてまいらせ候、

しんさう(黒印)

御つかいちん一郎殿

てんふん十一年[ミつのへとら]九月廿日

たいよ まいる

→愛知県史 資料編10「しんさう寄進状」(大樹寺文書)

 寄進いたしました下地、下仁木古川分『はなけ』の田2反ですが、三郎殿に申し上げて、道甫のために寄進いたします。あの下地においては永代寄進いたしますので、異議はありませんように。そのために一筆お出しします。

「たうの仏供まい」(端書裏)

大しゆ寺たうのほんそんふつくまい、ならひニはんしゆのほいたうふんの事、せんきよく心さしとしてきしんのうへ、いつかたよりもいらんわつらいあるましく候、返々かのしたち、すこしも申事候ハゝ、此ふミをさきとして、申たて候へく候、

  大蔵(花押)

  (黒印)しんさう

大しゆ寺しとうへ まいる

→愛知県史 資料編10「しんさう書状」(大樹寺文書)

 堂の仏供米。大樹寺堂の本尊仏供米並びに『はんしゅ』陪堂分のこと、先局志しとして寄進の上、どこからであっても異議はないように。返す返すも、あの下地について少しでも異議があれば、この文を証拠に反論するように。

 返々われゝゝいさゝかもふさた申候ましく候、いかさまふとのほり候て、よろつ申うけ候へく候、くわしくハけいそうへかたりまいらせ候、

文給候、ことに御ちや給候、めてたくゆ■ゐ入まいらせ候、

一 あさいとう七郎やまの申事のよしうけ給候、道かんのとうゑつさまの御はん候ハゝ、とかくの申事候ハあさましく候、そのよしおかさきへも申候、そなたにて返事候へく候、かしく、

(ウワ書)「(切封墨引)上かいハうへ まいる
御返事申給へ ふちより しんさう」

→愛知県史 資料編10「しんさう書状」(大樹寺文書)

 返す返すも私はご無沙汰するつもりはありませんでした。いつでも気軽に伺って、何でもお聞きしましょう。詳しくは『けいそう』へ言いつけました。
 お手紙いただきました。特にいただいたお茶は、嬉しく淹れました。一、浅井藤七郎が言ってきた山の件は承りました。道幹の道閲様の判形があるならば、とやかく反論するのは浅ましいことです。そのことは岡崎へも申しています。あなたから返事をお願いします。

案文

上和田之内■■■■■事、広忠・元信末代諸不入ニ御寄進之うへハ、いつかたよりも申事有間敷候、若申かた候者、おのゝゝ可申立候、仍如件、

弘治三年[丁巳]十一月十一日

石川安芸守

青木越後

酒井将監

同雅楽助

同左衛門尉

天野清右衛門尉

榊原孫七

浄明寺 参

→愛知県史 資料編10「石川忠成等連署状案」(浄明寺文書)

 上和田のうち■■■■■のこと。広忠・元信の末代まで不入として寄進したので、誰であっても言い立てることがありませんように。もし言い立てる者があるならば、各々に申し立てるようにして下さい。

返々大せんしの事、道かんにも、いまの三郎にも、われゝゝつかひ申てまいらせ候、このてらハ、われゝゝかてらの事にて候まゝ、いつかたのいろこひもあるましく候、

大せんしきしんしやう、まへにまいらせ候を、人に御ぬすまれ候よし、左やう申まいり候、かさねて三郎きしんしやうをまいらせ候、はんの事ハ、いまたいつかたへも、かやうの事にせられ候ハす候まゝ、われゝゝかおしはんをおしてまいらせ候、なんときもかやうの事にはんをいたし候ハんとき、このきしんしやうにもにせてまいらせ候へく候、まへの御ぬすまれ候にも、三もしのはんハ候ましく候、まへのきしんしやういたし候物ハ、ぬす人にて候へく候、そのためにわか身一ふてしめしまいらせ候、

こうし二年ひのへたつ 六月廿四日

しんさう

大せんし

 しゆんゑさうすへ

  まいる

→愛知県史 資料編10「しんさう書状」(大泉寺文書)

 返す返すも大仙寺のこと、道幹にも今の三郎にも、私は仕えて来ました。この寺は私の寺ですから、どこであろうとも口出しすることはなりません。
 大仙寺寄進状ですが、前にお出ししたものを誰かに盗まれてしまったと、そのように申してきました。重ねて三郎が寄進状をお出しします。印判のことは、まだ誰ともこのようなことをしていなかったので、私の押判を押してお出しします。どんな時もこのようなことに判を押す場合は、この寄進状に似せてお出しすることでしょう。前の盗まれた物にも3文字の判はありません。前の寄進状を出す者は盗人でしょう。そのために、私から一筆差し上げました。

岡崎之内大仙寺之事

 東ハさわたりをきり、みなミハ海道をきり、同谷あひすゑまて、西ハこなわて田ふちをきり、北も田ふちをきり、末代ニおいて令寄進畢、前之寄進状出し候ハん者ハ、可為盗人候、於子々孫々、相違有間敷者也、

一 殺生禁断之事

一 寺内并門前竹木切事

一 詞堂徳政免許之事

一 棟別・門別・追立夫之事

一 諸役不入之事

 右条々、背相輩者、堅成敗あるへきものなり、

弘治弐年 丙辰 六月廿四日

松平次郎三郎

元信(黒印)

大仙寺俊恵蔵主 参

→愛知県史 資料編10「松平元信黒印状」(大泉寺文書)

印文未詳の黒印は1542(天文11)年「しんさう書状」と同じ。

 岡崎内の大仙寺のこと。一、東は沢渡を切り、南は海道を切って同谷の末まで、西は小縄手の田ふちを切り、北も田ふちを切る。末代において寄進する。前の寄進状を出そうとする者は、盗人とするだろう。子々孫々において相違ないように。一、殺生禁断のこと。一、寺内・門前で竹木を伐採すること。一、祠堂米銭は徳政から除外すること。一、棟別銭・門別銭・労役徴発のこと。一、諸役不入のこと。 右の条項に背く輩は断固として成敗するであろう。

参河国額田郡岡崎内菅生大仙寺之事

一 東者限沢渡、西者限小縄手田端、南者限往復道谷合末迄、北者限田端、令寄附之事

一 殺生禁断之事 付不入之事

一 寺内門前棟別押立諸役等、免許之事

一 寺内門前竹木見伐、令停止之事

一 詞堂米銭、不可有徳政之沙汰事

 右条々、芝原令開発、新建立之条、永所令領掌也、不可有相違、雖有先判、令失却之上、重及判形了、若至于後々年、彼失却之判形出之、就有譲状之由申掠輩者、遂糾明可加成敗者也、仍如件、

弘治弐年

六月廿一日

治部大輔(花押)

大仙寺俊恵蔵主

→愛知県史 資料編10「今川義元判物」(大泉寺文書)

 三河国額田郡岡崎内の菅生大仙寺のこと。一、東限は沢渡、西限は小縄手田端、南限は往復道の谷合の末、北限は田端としてこれを寄付すること。一、殺生禁断のこと。また不入のこと。一、寺内・門前は棟別銭・徴発・労役賦課などを免除すること。一、寺内・門前は竹木の伐採を停止すること。一、祠堂米銭は徳政の対象としないこと。
 右の条項、芝原を開墾して新たに村を立てたので末永く掌握させるものである。相違があってはならない。先行する判形があったが紛失したとのことで重ねて判形を出す。後々に至り、あの紛失した判形が出てきて、譲り状があると虚偽の申請をする者があるならば、取り調べて成敗を加えるものである。