武田氏家臣団より一族・重臣・足軽の一覧を抜粋
武田法性院信玄公御代惣人数之事 御親類衆 一、武田典厩(様) 旗黒地に白丸 二百騎 一、逍遥軒(様) 旗色きれて見えず 八十騎 一、勝頼公 旗白地に大文字 二百騎 一、一条右衛門大夫殿 旗白地にすそあか 二百騎 一、武田 …
武田法性院信玄公御代惣人数之事 御親類衆 一、武田典厩(様) 旗黒地に白丸 二百騎 一、逍遥軒(様) 旗色きれて見えず 八十騎 一、勝頼公 旗白地に大文字 二百騎 一、一条右衛門大夫殿 旗白地にすそあか 二百騎 一、武田 …
今度為加勢親父式部丞于至遠州出陣候之処、以不慮之仕合、於二保中鉄炮死去、無是非次第候、雖氏政御下知候、当方同陣之上如此之儀、併対信玄忠節之至候、芳情末代不可令忘却候、誠其方悲歎察入候、於信玄愁欝難露紙面候、因茲只今以興禅 …
去月以来向白川御張陣由候、節躰如何、無御心元候、因茲関宿様被成和睦、御下知由被仰下候、哀ゝ任 上意被申念願候、委曲新介方申候、恐々謹言、 九月十九日 氏康(花押) 佐竹殿 →戦国遺文 後北条氏編 「北条氏康書状」(佐竹文 …
追而 一樽一種進之候 久不能音問候、抑去年就越衆令出張、太田美濃守・成田下総守、忘年来重恩、度ゝ背誓句血判旨、忽企逆心事、誠以無是非候、抑近年当方為可静遠国弓箭、為始左衛門大夫、宗面ゝ向地指置、手本ニ人数無之付而、備不及 …
重而企使僧候、先日者、雖聊尓千万ニ候、愚存申達候キ、遠境与云、深雪之時分候之条、参着難量間、幾筋茂令申候キ、参着候哉如何、無御心許候、抑如露先書、駿・甲・相親子兄弟同前之間ニ候之処、国競望之一理を以、信玄駿州へ乱入、今川 …
内ゝ自是可申届候処、預御使候、本望候、 御所様小金迄被移 御座之由、先以目出度令存候、証人衆近日相調可申候、可御心安候、先ゝ、御台様遠行、誠以無是非次第候、氏康心中過御察候、抑去年以来関宿之地御籠城、被尽粉骨候、御忠信無 …
館林之下ニ舟橋為懸、急用之間、諸道具各申付候ヘ共、猶不足候、誠乍御無心之儀、不顧思慮申届候、五日之■■相調奉行ニ渡給候者、可為喜悦候、恐々謹言、 十月六日 氏康(花押) 野田殿 →戦国遺文 後北条氏編 「北条氏康書状」( …
如来意、依無題目、久不能音問候、向■城取普請、悉出来、人数三日以前納候、可御心易候、就中 大上様御不例之由候、相替儀候者、可承候、委曲岩本可申候、恐々謹言、 五月廿八日 氏康(花押) 野田殿 →戦国遺文 後北条氏編 「北 …
幸便間、令啓候、於御当地無二被遂忠信、被尽粉骨段、御高名之至、誠以不及是非次第候、然者、早ゝ可出馬候処、両総相調子細依有之、令遅ゝ候、此上ハ急度致出陣、葛西筋儀、涯分可走廻候、条ゝ義板橋申含候処、路次不自由故、于今江城逗 …
横瀬敵陣へ出候付而、其地初口ニ成候、此度可抽忠儀事、専要候、仍鉄炮薬玉進之候、猶用所付而重而可進候、委曲使者可申候、恐々謹言 十月四日 氏康(花押) (宛所欠) →戦国遺文 後北条氏編 「北条氏康書状」(千葉県市立郷土博 …