月: 2008年5月

武田勝頼、某(大藤氏?)の父親が死んだことを受けて香典を送る

今度為加勢親父式部丞于至遠州出陣候之処、以不慮之仕合、於二保中鉄炮死去、無是非次第候、雖氏政御下知候、当方同陣之上如此之儀、併対信玄忠節之至候、芳情末代不可令忘却候、誠其方悲歎察入候、於信玄愁欝難露紙面候、因茲只今以興禅 武田勝頼、某(大藤氏?)の父親が死んだことを受けて香典を送る

北条氏康、野田氏に足利義氏が小金まで移動したことを受け状況を確認する

内ゝ自是可申届候処、預御使候、本望候、 御所様小金迄被移 御座之由、先以目出度令存候、証人衆近日相調可申候、可御心安候、先ゝ、御台様遠行、誠以無是非次第候、氏康心中過御察候、抑去年以来関宿之地御籠城、被尽粉骨候、御忠信無 北条氏康、野田氏に足利義氏が小金まで移動したことを受け状況を確認する

北条氏康、野田氏に普請の完了と足利晴氏死去に伴う相続について告げる

如来意、依無題目、久不能音問候、向■城取普請、悉出来、人数三日以前納候、可御心易候、就中 大上様御不例之由候、相替儀候者、可承候、委曲岩本可申候、恐々謹言、 五月廿八日 氏康(花押) 野田殿 →戦国遺文 後北条氏編 「北 北条氏康、野田氏に普請の完了と足利晴氏死去に伴う相続について告げる

北条氏康、野田氏に房総の状況があって出陣が遅れていることを告げる

幸便間、令啓候、於御当地無二被遂忠信、被尽粉骨段、御高名之至、誠以不及是非次第候、然者、早ゝ可出馬候処、両総相調子細依有之、令遅ゝ候、此上ハ急度致出陣、葛西筋儀、涯分可走廻候、条ゝ義板橋申含候処、路次不自由故、于今江城逗 北条氏康、野田氏に房総の状況があって出陣が遅れていることを告げる