月: 2014年5月

今川氏真、三浦義次が判形を失ったことを受けて知行を改めて保証する

去辰年錯乱之刻、無二爾自構父子共令供、老母・兄弟共無残召連、妻子之義者、大草次郎左衛門妻子同前ニ豆州江相退、懸河籠城中昼夜父子於三輪構、別而無油断走廻、殊敵天王山江取懸刻、合首尾無比類走廻之段、粉骨之至也、然本地・代官職 今川氏真、三浦義次が判形を失ったことを受けて知行を改めて保証する

意外と重要な字体選択

  割と等閑にされる話だが、ゴシック体は歴史の研究と相性が悪い。インターネットの隆盛によって、今までは「まあいいか」で済まされてきた誤字が許されなくなってきたと思う。下記を見てほしい。   MSWor 意外と重要な字体選択

北条某、興津摂津守の功を賞し同族将監の知行を保障する

城中自始馳走感悦也、弥忠節奉公不可有由断由肝要候、然者同名将監跡職   被官給共、知行分宛行所不可有相違候也、仍如件、 三月廿三日 興津摂津守殿 →戦国遺文 今川氏編2244「北条某書状写」(国立公文書館所蔵諸家文書纂所 北条某、興津摂津守の功を賞し同族将監の知行を保障する

後北条モノリス

東京の浜松町駅から見下ろせる位置に、旧芝離宮公園がある。 近世に小田原を治めた大久保氏は一度失脚しており、その後盛り返したのが大久保忠朝。老中にもなった忠朝が四代家綱から埋立地を拝領したのが、ここに庭園ができるきっかけに 後北条モノリス

今川氏真、西原源太に、掛川城で西原善衛門尉が活躍したことを賞す

就今度駿府錯乱、懸河城江相移之処、西原善衛門尉有同心、捨身命馳走之段、無比類候、本意之上、此旨氏康へ可申立候、恐々謹言、 十二月十六日 氏真(花押) 西原源太殿 →戦国遺文 今川氏編2205「今川氏真書状」(西原文書) 今川氏真、西原源太に、掛川城で西原善衛門尉が活躍したことを賞す