今川氏真、鈴木尉に、犬居七人の調略を賞し、所領を与える
今度就忩劇犬居七人之者、令同道走回候段、喜悦之至也、然間為其賞、本意之上、於駿・遠両国之内、以望之地百貫文領地可充行、守此旨弥於山中筋、無相違様子可令馳走者也、仍如件、 永禄十二[己巳] 正月廿日 氏真判 鈴木尉殿 → …
今度就忩劇犬居七人之者、令同道走回候段、喜悦之至也、然間為其賞、本意之上、於駿・遠両国之内、以望之地百貫文領地可充行、守此旨弥於山中筋、無相違様子可令馳走者也、仍如件、 永禄十二[己巳] 正月廿日 氏真判 鈴木尉殿 → …
今月十二日星崎入城候、当城之儀灘手にて万自由候、今度我等人数武具以下馳走之段、殊外被成御褒美候条本望ニ候、其許火用心其外多時不可有緩事肝要候、将又内ニも碁石可有之候間、誰そ申候て急便ニ可差上候、呉々番衆中能々申聞候、日夜 …
最近になって知ったが、非常に趣旨の近しい論文が発表されていた。 「椙山之陣以来」にある「椙山之陣」は何を指すのか? ―竹井英文氏「その後の「杉山城問題」 」における批判に応える― 中西義昌・著 史学論叢第 44 号(別府 …
去九月廿九日於参州八幡合戦之刻、被官人稲垣藤介頸一討捕之旨太神妙也、弥可抽軍忠之旨可申聞之状如件、 永禄五年 十一月十三日 氏真(花押影) 牧野右馬允殿 →愛知県史資料編14 補292「今川氏真判物写」(藤原姓・稲垣氏 …
去五月八日於富永口長次郎構之人数相動刻、無比類走廻之旨神妙也、弥可抽忠功之状如件、 永禄五 八月七日 氏真(花押影) 池田小左衛門殿 →愛知県史資料編14 補290「今川氏真感状写」(御系譜類記 上中下) 去る5月8 …
去五月八日於富永口長次郎構之人数相働之刻、被官稲垣藤介蒙鑓疵之所神妙也、弥可抽軍忠之旨可申聞之状如件、 永禄五 八月七日 氏真(花押影) 牧野右馬允殿 →愛知県史資料編14 補289「今川氏真感状写」(藤原姓・稲垣氏家 …
『歴史街道』2014年9月号39ページにおいて、新発見されたという『斎藤利三宛長宗我部元親書状』の大意が掲載されていた。この文書は、本能寺の変直前に長宗我部元親が織田信長に従っていた根拠という触れ込みで報道されている。 …
去六日於号地尻地遂一戦、及刀切々疵・鎗疵弐ケ所被之由尤神妙也、弥可励戦功之状如件、 永禄四年 四月十二日 氏真(花押影) 池田小左衛門殿 →愛知県史資料編14 補267「今川氏真感状写」(御系譜類記 上中下) 去る6 …
昨十三夜・於薩埵山、敵夜掛之刻、敵壱人新井小次郎与合討、高名感悦候、弥可竭粉骨者也、仍如件、 永禄十二年[己巳] 三月十四日 (北条氏政花押) 清田内蔵佐殿 →戦国遺文 今川氏編2312「北条氏政感状」(浄光寺文書) …
今月廿四日武節本城ヘ敵取懸之処、従最前無比類相動之由甚感悦也、向後弥可抽忠功之状如件、 永禄三[庚申] 十二月廿九日 氏真(花押影) 池田小左衛門尉殿 →愛知県史資料編14 補241「今川氏真感状写」(御系譜類記 上中 …