月: 2014年8月

今川氏真、鈴木尉に、犬居七人の調略を賞し、所領を与える

今度就忩劇犬居七人之者、令同道走回候段、喜悦之至也、然間為其賞、本意之上、於駿・遠両国之内、以望之地百貫文領地可充行、守此旨弥於山中筋、無相違様子可令馳走者也、仍如件、 永禄十二[己巳] 正月廿日  氏真判 鈴木尉殿 → 今川氏真、鈴木尉に、犬居七人の調略を賞し、所領を与える

吉川広家、佐々木平兵衛尉に、在番のため尾張星崎に入城したと伝える

今月十二日星崎入城候、当城之儀灘手にて万自由候、今度我等人数武具以下馳走之段、殊外被成御褒美候条本望ニ候、其許火用心其外多時不可有緩事肝要候、将又内ニも碁石可有之候間、誰そ申候て急便ニ可差上候、呉々番衆中能々申聞候、日夜 吉川広家、佐々木平兵衛尉に、在番のため尾張星崎に入城したと伝える

椙山陣考-8 再びの余録

最近になって知ったが、非常に趣旨の近しい論文が発表されていた。 「椙山之陣以来」にある「椙山之陣」は何を指すのか? ―竹井英文氏「その後の「杉山城問題」 」における批判に応える― 中西義昌・著 史学論叢第 44 号(別府 椙山陣考-8 再びの余録

今川氏真、牧野成定に、被官稲垣長茂が三河国八幡で活躍したことを賞す

去九月廿九日於参州八幡合戦之刻、被官人稲垣藤介頸一討捕之旨太神妙也、弥可抽軍忠之旨可申聞之状如件、 永禄五年 十一月十三日  氏真(花押影) 牧野右馬允殿 →愛知県史資料編14 補292「今川氏真判物写」(藤原姓・稲垣氏 今川氏真、牧野成定に、被官稲垣長茂が三河国八幡で活躍したことを賞す

今川氏真、牧野成定に、被官稲垣長茂が三河富永口で活躍したことを賞す

去五月八日於富永口長次郎構之人数相働之刻、被官稲垣藤介蒙鑓疵之所神妙也、弥可抽軍忠之旨可申聞之状如件、 永禄五 八月七日  氏真(花押影) 牧野右馬允殿 →愛知県史資料編14 補289「今川氏真感状写」(藤原姓・稲垣氏家 今川氏真、牧野成定に、被官稲垣長茂が三河富永口で活躍したことを賞す

北条氏政、清田内蔵佐が薩埵山で敵の夜襲を撃退したことを賞す

昨十三夜・於薩埵山、敵夜掛之刻、敵壱人新井小次郎与合討、高名感悦候、弥可竭粉骨者也、仍如件、 永禄十二年[己巳] 三月十四日  (北条氏政花押) 清田内蔵佐殿 →戦国遺文 今川氏編2312「北条氏政感状」(浄光寺文書) 北条氏政、清田内蔵佐が薩埵山で敵の夜襲を撃退したことを賞す