態令啓候、蔵人佐殿駿州一和之儀、以玉瀧坊申届候、成就於氏康令念願計候、併可在其方馳走候、恐々謹言、

五月朔日

氏康(花押)

酒井左衛門尉殿

→『小田原市史 史料編 中世2 小田原北条1』四八七号 「北条氏康書状」(里見忠三郎氏所蔵文書)

 ご連絡いたします。蔵人佐殿が駿河と和睦する件ですが、玉瀧坊が用件をお届けします。和睦が成就することばかりを、氏康は念願しています。あなたも協力して活躍してください。

玉瀧坊は小田原松原神社別当のこと。酒井左衛門尉は忠次か。蔵人佐は酒井忠次の主君松平元康、駿河は今川氏真を指すと思われる。

久不能音問候、抑近年對駿州被企逆意ノ由、誠以歎敷次第候、就之自駿府當方へ出陣ノ儀承候間、氏康自身出馬據歟、■州閣■敵、於三州弓矢無所詮候、去年來候筋日(目)駿三和談念願、就中三悪(亜)相如(御)筋(物)語ハ、就彼調被成下京都下知、當國ヘモ被丶書由、各御面目到候哉、松平方へ有意見、早ゝ落着候様、偏ニ其方可有馳走候、委細口上申含候間、令省略候、恐々謹言、

五月朔日

氏康(花押)

水野下野守殿

→戦国遺文・北条編700 「小田原編年附録四」

久しくご連絡していませんでした。近年今川氏に逆意を企てたのは、本当に嘆かわしいことです。このため、今川氏から私に出陣の依頼を受けました。氏康自身が出馬してしまおうか、と思っています。
『■州』(美濃?)の敵をさしおき、三河においての紛争をするのはつまらないことです。去年の筋目で駿河・三河の和睦を念願します。とりわけ三条大納言(実澄)の仰ることには、あの調整について京都がご命令を発し、当国にも文書が書かれたとのこと。それぞれの面目があるものでしょうか。松平氏に意見をし、早々に事態を収束させるためには、あなたが動き回ることが大事です。細かい事は使者に申し含めていますので、省略しています。

一 竪文 夕庵筆ノ写 一字モ不違八行也、

嶋田かたへ御状令拝閲候、よって網懸之鶻(たか)被懸御意候、寔以畏悦之至候、殊先日も兄弟鶻給候、雖申尽候、尚以当年自何方無到来候之処、及度々如此之儀奇特存候、旁従是可令申候条、不能巨細候、恐々謹言、

九月十五日

水野藤九郎殿

御宿所

信長

→織田信長文書の研究 「尾張水野藤九郎宛書状写」

嶋田のところへ出した書状を読みました。ですから、鷹を網に懸けて得られたことを知り、喜んでいます。ことに先日も兄弟鷹をいただいたことは、申しつくせないほどです。今年になってどこからも贈り物がなかったのですが、あなたは何度もくれて奇特なことです。そのようなことを申し上げたいのですが、どのように伝えたらよいか見当もつきません。

此方就在陣之儀、早々預御折帋、畏存候、爰許之儀差儀無之候、可被御安心候、先以其表無異儀候由、尤存候、弥無御油断、可被仰付儀肝要候、尚林新五郎可申候、恐々謹言、

閏十一月十一日

信秀

水野十郎左衛門尉殿

     御返報

→新編岡崎市史 「織田信秀書状写」

こちらで在陣する件ですが、早々とお手紙を預けていただき恐縮です。こちらでは、さしたることもありませんのでご安心下さい。そちらの戦線に異論はないことを聞き、ごもっともだと思います。いよいよご油断ないよう指示されることが肝要です。さらに林新五郎が申し上げるでしょう。

年次は欠いているが、閏11月とあることから1544(天文13)年と想定できる。この時、今川義元は後北条氏との戦闘『河東一乱』が終局を迎えつつあり、織田信秀は美濃攻略に失敗し主力を西三河に向けつつあった。

夏中可令進発候条、其以前尾州境取出之儀、申付人数差遣候、然者其表之事、弥馳走可為祝着候、尚朝比奈備中守可申候、恐々謹言

四月十二日

義元(花押)

水野十郎左衛門尉殿

→豊明市史 『別本士林証文・今川義元書状写』

 夏になったら私自らが出撃します。その前に、尾張国境地帯にある砦のことですが、手勢を派遣します。そのような次第なので、戦線についてはますますご活躍していただけると幸いです。なお、詳細は朝比奈備中守が申し上げます。

※宛名は異説あり。内閣文庫所蔵「古証文」では、宛名は水野甚左エ門。

去十九日、尾州大高城江人数・兵粮相籠之刻、為先勢遣之処、自身相返敵追籠、無比類動、殊同心・被官被疵、神妙之至甚以感悦也、弥可抽忠切之様、仍如件、

十月廿三日

義元 判

奥平監物殿

→豊明市史 「今川義元感状写」(松平奥平家古文書写)

去る十九日、尾張国の大高城に兵員と食料を補給した際、先鋒として遣わしたところ、自身引き返して敵を追い込めた働きは比類ないものだった。特に、同心・被官が負傷され、神妙の至りで大変感悦している。今後もますます忠節を尽くすように。

今度召出大高在城之儀申付之条、下長尾一所之事、一円永所宛行之也、於遂在城者、連々可加扶助、彼郷之内、前々之被官等、無相違所還付也、守此旨、用心已下無油断可勤之者也、仍如件、

永禄弐 未己 年

八月廿一日

治部大輔(花押)

朝比奈筑前守殿

→豊明市史 「今川氏真判物写」(土佐国蠧簡集残編三)

 この度大高城の守備を命ずるに当たり、下長尾の所領一円を末永く宛行なうこととする。在城を遂げるならば、引き続き扶助を加えるだろう。あの郷の内では、以前の被官たちに相違なく還付するように。このことを守り、油断なく義務を遂行せよ。

 下巻読了。やっぱりディケンズは偉大だと思った。素晴らしい。
 高慢で忘恩になったピップは、人生の転機を迎え更生するのだが……何だかラストは興醒めだったかも知れない。ブルワー・リットンの薦めに従ってディケンズがハッピーエンドに組み替えたようだが、やっぱりピップは無力化したまま終わらせて欲しかった。
 「エステラ=果たせぬ夢」という公式で考えてみた。対抗馬は「ビディ=日々の現実」。ピップはエステラに焦がれ、振り回され、ビディという選択肢を捨ててまで追い求め振られた訳だ。そしてビディにも戻れなかったとすると、彼は残りの人生で果たせぬ夢を追憶しながら生きていくしかない。恐らくドストエフスキーだったらそのような終わらせ方をしたのではないか。
 一番胸に迫ったのは、最初に読んだ時と同じマグウィッチ臨終のシーン。何故だか、役人の台詞がとても印象的。その他であれば、ピップが全力でエステラを振り向かせようとして失敗したシーンだろう。一読目は気づかなかったが、ミス・ハヴィシャムの描写が秀逸。
 それから、何故かラストの自然描写がやたらとよい。ストーリー自体は前述の通り「何だかなあ」なのだが、ディケンズはその分描写に力を入れている。そして、大方の読者が期待するようなハッピーエンドは用意せずに仄めかすだけに留めている。
 この作品はほどよい分量にまとめられているし、登場人物の配置やストーリーの緊密さも適正だ。よく出来ている……のだが、ディケンズ作品の中でちょっと優等生過ぎやしないかなあと思ってしまった。

織田家家臣、佐久間信盛の文書は、織田氏側が今川義元との合戦について言及した珍しいものだ。
 そのあて先は伊勢神宮の中でもアマテラスを祭神とする内宮である。一方今川氏は、関口氏純文書今川義元文書から外宮との関係が把握できる。しかも、催促を受けていた文書も残っていて興味深い。
佐久間文書から割り出せることを列挙する。

  • 織田氏は今川義元を討ち取った。
  • 織田氏と今川氏で行なわれた合戦に伊勢内宮は関心を持っていた。
  • 伊勢内宮と織田氏家臣佐久間氏は通信を行なっていた。

関口氏純文書から把握できることは以下の通り。

  • 夏(4~6月)に、今川義元が出陣する予定。
  • 外宮改築費用を三河国へ賦課すると今川氏は約束。
  • その他の国々(複数)についても今川氏は考慮すると約束。
  • 伊勢外宮と今川氏家臣関口氏は通信を行なっていた。

 ただし、今川氏は時宗体光上人からの文書熊野大社への報告文書に見られるように、多数の宗教集団とも合戦情報を共有している。この点を踏まえ、伊勢外宮が今川氏にとって特殊な存在だったのかを今後の課題にする。

14.2:350:248:0:0:西を上にした伊勢湾図:center:1:1:青は今川氏拠点・緑は他氏拠点:
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