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月別アーカイブ: 12月, 2013

簗田持助、宇都宮広綱に、北条氏照夜襲を撃退したと伝え至急の援軍を請う

急奉啓候、厥以来御当口何条之儀御座候哉、承度令存候、■義重奥口御出馬時分柄与云、御肝要ニ存候、仍去月廿七北源総武之衆被相集、当地関宿之地へ夜中諸口へ詰来候、備申付候故悉敗軍至候、今捨置候持道具以下毎日取来候、因茲城中及糺 …

佐竹義重、那須資胤に、白川氏との和睦を告げ、仲介した結城晴朝から諷諫があることを伝える

態申届候、抑晴朝以媒介、白川当方遂和睦候、如此之上、自御当方も白川へ被仰合可然候、依之及使者候、窮て如斯之意趣、自晴朝可有諷諫之条不能具候、恐々謹言、 霜月十三日  義重 那須殿 →「佐竹義重書状写」(下野那須郡寺子村農 …

簗田晴助、岡本禅哲に、栗橋に氏照が在城し関宿攻撃の風聞があることを伝える

急度令啓候、義重奥口御出馬之由、其聞候、誠以目出御肝要令存迄候、其以往之御様子承度候、仍自越府以蔵主御相談候、関東是非候条申迄者、雖無之候、年来之御首尾与云、今般之御稼ニ相極候、御当地不被入御念付而者、越山可為相違之由令 …

覚書:北条綱成、結城義親に、関宿での和議に対する義親の意見を氏政へ伝えると約束する

極月十二日之御懇札、当年昨九日令披見候 12月12日の日付がある白川義親書状を、北条綱成は昨日9日に読んだとしている。中26日で白川から到着したことになる。到着地点は綱成居城の玉縄と考えてよいと思う。後の文で氏政が小田原 …