某義昌、福田民部少輔に官途を与える
相守譜代之筋、神妙仁走廻之条、官途被下置也、 天正十二年 七月廿八日 義昌(花押) 福田民部少輔殿 →古河市史1472「小野崎義昌官途状」(福田昇造氏所蔵文書)。この時期の「義昌」は小野崎氏しか該当しないものの、なお検討 …
相守譜代之筋、神妙仁走廻之条、官途被下置也、 天正十二年 七月廿八日 義昌(花押) 福田民部少輔殿 →古河市史1472「小野崎義昌官途状」(福田昇造氏所蔵文書)。この時期の「義昌」は小野崎氏しか該当しないものの、なお検討 …
遥ゝ不申通候之条、馳一翰候、先日枕流斎帰路以後、早ゝ可及御返答、敵動故遅ゝ、重而以枕流斎可申入候、雖然如聞得者、越中口為御静謐、于今彼口ニ被立御馬之由候条、先山吉方訖内義申届候、此飛脚ニ案内者被指副、無相違被相透給候、万 …
遥ゝ不申通候之条、雖差儀無之候、以脚力令申候、去比者以枕流斎申達処、宜御取成之由、万ゝ祝着存候、就而以条目蒙仰候、則枕流折返可及御返答覚語候処、信玄不慮ニ至于武相出張候、臼井峠打越、不移時日当城江寄来候、信甲之者共年来存 …
来翰珍閲、仍当調儀、遅延不審之由、尤無余儀存候、当口之事、先月以来打続大雨故、洪水万方通路、不自由之間、以大軍之動難成候間、延引差行無之候、 一、越衆出張之由、風聞候哉、于今無其儀候、上州堺へ打出之由、先月半時分申来候キ …
急奉啓候、厥以来御当口何条之儀御座候哉、承度令存候、■義重奥口御出馬時分柄与云、御肝要ニ存候、仍去月廿七北源総武之衆被相集、当地関宿之地へ夜中諸口へ詰来候、備申付候故悉敗軍至候、今捨置候持道具以下毎日取来候、因茲城中及糺 …
態申届候、抑晴朝以媒介、白川当方遂和睦候、如此之上、自御当方も白川へ被仰合可然候、依之及使者候、窮て如斯之意趣、自晴朝可有諷諫之条不能具候、恐々謹言、 霜月十三日 義重 那須殿 →「佐竹義重書状写」(下野那須郡寺子村農 …
此度高滝中書御帰路、幸存令啓進候、諷々も先年総州御陳已来不能面上候、追紙御床敷侭御上申迄候、一両年已前迄者くる里ニ御在候由其聞候き、然所ニ正大御懇細故其地へ御移之由、中書御伝何承届候、練々令帰も候、正大へハ於厩橋・臼井茂 …
急度令啓候、義重奥口御出馬之由、其聞候、誠以目出御肝要令存迄候、其以往之御様子承度候、仍自越府以蔵主御相談候、関東是非候条申迄者、雖無之候、年来之御首尾与云、今般之御稼ニ相極候、御当地不被入御念付而者、越山可為相違之由令 …
内ゝ以御使節可被仰出由、思召候処、遮而以代官懇言上、喜入候、去比者、古河之地無心元之段、節ゝ言上、御感悦候、抑此度氏政関宿被取詰候処、輝虎・義重相談、雖及後詰候、陣中備堅固故、失利退散、羽生地引明敗北、剰佐竹・宇都宮令懇 …
極月十二日之御懇札、当年昨九日令披見候 12月12日の日付がある白川義親書状を、北条綱成は昨日9日に読んだとしている。中26日で白川から到着したことになる。到着地点は綱成居城の玉縄と考えてよいと思う。後の文で氏政が小田原 …