証文をなくすということ
検証a03で、沓掛城で証文を失った案件を取り上げたが、その他のものと比較を行なって、それがどの程度異例だったのかを考えてみたい。 彼地一円為不入免許之旨先印判雖有之、去年五月十九日合戦之砌、於沓掛令失却之旨申候条、任其儀 …
検証a03で、沓掛城で証文を失った案件を取り上げたが、その他のものと比較を行なって、それがどの程度異例だったのかを考えてみたい。 彼地一円為不入免許之旨先印判雖有之、去年五月十九日合戦之砌、於沓掛令失却之旨申候条、任其儀 …
1584(天正12)年比定の「後北条家朱印状」によると、宇津木氏が新規に雇うことになった鉄砲衆10名の費用86.67貫文のうち、28貫文分が紬20反への割り当てとなっている。 此内 拾五貫文 拾たん 上紬 拾三貫文 拾 …
今度敵陣往覆之者討留、荷物無際限押落由、忠節無比類候、度ゝ走廻段、感悦候、此度候間、弥無二ニ可走廻候、然者於如何様之儀も、望可申候、依所望可加扶助者也、以状如件、 [虎朱印] 三月廿日 小田野肥後守殿 同 新左衛門殿 …
「お墨付き」という言葉は現代でも活きており、上位者から承認を得たものとして使われる。そして、「太鼓判」という言葉も残っている。こちらは上位者というよりはその道の達人が当該物の品質を保証するという意味合いだ。情報や判断の …
歴史に「もし」が禁句なのは承知しているが、1つだけ興味を持っている「もしも」がある。1582(天正10)年6月、本能寺の変に巻き込まれた徳川家康は大坂から三河国まで脱出行を演じているが、この際に家康が殺されていたら……と …
屋敷へ敵取懸候処、堅固遂防戦、敵十五人打取験、津久井迄指越由、忠節無比類候、此度之間、弥尽粉骨、可走廻候、本意之上、随望可致褒美者也、仍如件、 三月十二日 (北条氏康花押) 小田野とのへ →「北条氏康判物写」(佐野家蔵文 …
天文年間に三河国で散見される『安心』という人物について、その出自を考慮していた。到底判らないものと諦めていたが、ついに知見を得たのでここに記しておく。 ■安心軒の俗名 2次史料ではあるものの、そのものずばりの名前が出て …
創元推理文庫の『漂流巌流島』(高井忍著)を読んだ。主人公が脚本家の4話もので、それぞれ、巌流島の決闘・赤穂浪士の討ち入り・池田屋事件・鍵屋の辻の仇討ちがモチーフとなっている。 ひょんなことから素人歴史研究家が矛盾に気づき …
今度軽身命、度ゝ走廻候、忠節候、仍太刀一腰遣之候、自今以後、弥就走廻者、随望可加扶助者也、仍状如件、 閏三月十日 氏康(花押) 小田野源太左衛門尉殿 →「北条氏康判物写」(佐野家蔵文書) 1561(永禄4)年に比定。 …
西三河最大の国人で、安心軒とともに三河国宗主権を保持していたと思われる「松平蔵人佐」について、記載文書を抽出してみた。 A:1523(大永3)年~1526(大永6)年9月 松平一門・家臣奉加帳写 「弐千疋 松平蔵人佐 …