当宿問屋之儀、如先規申付候間、無沙汰有間敷候、旅人自余ニ於在之者、やとを成敗可申候、然とも約束いたす上下衆無沙汰候者、自余へ可申付候也、
六月十五日
 本作(花押)
[宛所欠]

→静岡県史1543「本多重次判物」(静岡市研屋町寺尾文書)

天正10年に比定。

 当宿の問屋のこと。先の決まりのように申し付けますので、無沙汰があってはなりません。旅人がよそにいた場合は、宿を成敗して下さい。ですが、約束する上下衆が無沙汰するのであれば、よそへ申し付けるでしょう。

定 (今川氏輝花押)
一、遠州国源山昌桂寺、依為桂山菩提所、当知行新野池新田令寄進之事
一、自今以後於彼新田、惣百姓・代宮不可有綺事
一、地頭之百姓下人等、棟別・諸国役永為不入閣之事但他郷之家不可移作事
一、百姓等会下普請、毎事於致無沙汰輩者、可逐払事
一、於其城国方又者屓贔輩者、不可成其綺事
 右、於此旨違犯之族者、堅可加下知者也、仍如件、
享禄五年九月三日
昌桂寺

→戦国遺文 今川氏編487「今川氏輝判物」(正林寺文書)

 定め書き。一、遠江国源山昌桂寺は、桂山の菩提所としているので、当知行新野新田を寄進すること。一、これ以後はあの新田において、惣じて百姓・代官は不正をなさないようにすること。一、地頭の百姓・下人らは、棟別・諸国役を差し置くことなく末永く負担すること。但し、他郷の家に作事を移してはならない。一、百姓らの会下普請で、毎回無沙汰に及ぶ者がいれば追い払うべきこと。一、その城において、国方または贔屓を行なうならば、その不正は成してはならないこと。右の旨に違反する者は、厳重に処罰するものである。

得願寺代々被拘置末寺・末庵之事
右、如前々当寺可為支配、若対当住於無沙汰之輩者、従本寺可被相計者也、
天文廿年九月廿三日
 治部大輔(花押)

得願寺 宗英和尚

→戦国遺文 今川氏編1037「今川義元判物」(静岡市駿河区向敷地・徳願寺文書)

 徳願寺が代々抱えておられる末寺・末庵のこと。右は、以前のように当寺が支配するように。もし当住持に対して無沙汰をする輩があれば、本寺より計らわれるように。

駿河国大平郷之内、善兵衛名弐拾壱貫文地之事
右、為慈雲心月毎日霊供分、任臨済寺殿寄進之旨、令領掌畢者、停止諸役等、令寄附之者也、仍如件、
天文十七[戊申]年八月十六日
 治部太輔(花押)
得願寺

→戦国遺文 今川氏編875「今川義元判物」(静岡市駿河区向敷地・徳願寺文書)

 駿河国大平郷のうち、善兵衛名21貫文の地のこと。右は、慈雲心月のため毎日供養する分として、臨済寺殿の寄進の旨に任せて掌握させるので、諸役等を免除して寄付する。

[懸紙ウハ書]「井出千代寿殿 治部大輔」
駿河国冨士上方之内稲葉給、并被官百姓居屋敷等、井出甚右衛門尉遺跡之事
右、依無男子、女子松千代仁千代寿申合、譲与之旨、証文明鏡之条、永領掌了、然而為蔭居分、弐拾貫地共、一円可令知行之、并道者坊之事、可為如年来、但自道者坊内、弐貫五百文宛之儀者、為造営分、毎年大宮代官江相渡、知行之内宮分神事諸役等、如前々不可令怠慢、至于無沙汰者、宮分可令改易、遺跡之儀、於自今已後、兄弟・親類・縁類等、雖企競望、一切不可許容者也、仍如件、
弘治二年 五月廿六日
 治部大輔(花押)
井出千代寿殿

→戦国遺文今川氏編1284「今川義元判物」(杉並区今川・観泉寺所蔵浅川井出文書)

 駿河国富士上方のうち稲葉給、ならびに被官百姓の居屋敷など、井出甚右衛門尉の遺産のこと。右は、男子がいないため女子松千代に千代寿を申し合わせ、譲与の旨は証文で明確なので、末永く掌握すること。そして隠居分として20貫文の地共々一円を知行するように。そして道者坊のことは年来のようにせよ。但し道者坊のうちより2貫500文分のことは、造営分として毎年大宮代官へ渡すこと。知行のうち宮分神事の諸役などは、前々のようにして怠慢してはならない。無沙汰に至るならば、宮分は改易させる。遺産のこと、今後以降は兄弟・親類・縁類などが望んだとしても、一切許容しない。

[懸紙ウハ書]「井出千代寿殿 治部大輔」
駿河国冨士上方之内、井出甚右衛門尉知行稲葉給、并被官百姓居屋敷之事
右、甚右衛門尉女子松千代爾、就令契約、為一跡彼地代々証判相副、如前々一円譲渡之旨領掌、向後不可有相違、同道者坊之事、如年来可相拘之、但弐貫五百文充之儀者、為造営分、毎年大宮代官江相渡、其上或実子出来、或自余之聟・親類・縁類等、雖企競望、甚右衛門尉譲状明鏡之上者、一切不可許容、若彼契約旨於令違変者、甚右衛門尉借置米銭、速令沙汰、知行松千代女へ可還附、彼知行内宮分神事諸役等、如前々不可令怠慢、至無沙汰者、宮分可令改易、守此旨、弥可令奉公之状如件、
天文弐拾三[甲寅] 四月廿四日
 治部大輔(花押)
井出惣左衛門尉子 千代寿殿

→戦国遺文今川氏編1165「今川義元判物」(杉並区今川・観泉寺所蔵浅川井出文書)

 駿河国富士上方のうち、井出甚右衛門尉知行の稲葉給と被官百姓の居屋敷のこと。右は、甚右衛門尉の女子松千代に契約して、一跡としてあの地に代々証文が副えられ、前々のように一円譲渡の旨掌握して、以降は相違があってはならない。同じく道者坊のこと、年来のように保持するように。但し2貫500文分のことは、造営分として毎年大宮代官へ渡すように。その上で、あるいは実子ができ、あるいは他の婿や親類・縁類などが望んだとしても、甚右衛門尉の譲状が明確なので、一切許容しない。もしこの契約に違反する場合は、甚右衛門尉の負債を速やかに処分して、知行を松千代へ還付するように。この知行のうち宮分神事の諸役などは、前々のように怠慢することがないように。無沙汰に至るならば、宮分は改易させる。この旨を守り、ますます奉公するように。

(花押)
ちゝたか兼一跡事
梅女さうそく相違
あるへからさる状、如

天文廿四年後十月七日

→豊前市史「大内義長継目安堵状」(西郷文書)

 父隆兼の跡目のこと、娘の梅が相続し相違がないように。

八十一難経伝受之事、
無謾軽医経
無道聴塗説
無■他嘲■
右、盟■不可有■違者也、
天正六年孟夏吉日
 氏政(花押)

一謳軒

→小田原市史1278「北条氏政判物」(広島市・広島大学文学部所蔵猪熊文書)

於井伊谷所々買得地之事
一上都田只尾半名 一下都田十兵衛半名永地也、
一赤佐次平衛門名五分一 一九■衛門名
一祝田十郎名 一同又三平名三ケ一分
一右近左近名 一左近七半分
一禰宜敷銭地 一瀬戸■右衛門名
 彼名事、無他綺任前々可相計之、雖有何之訴訟地頭申■上者、一切不可許容、
右条々、如前々領掌不可有相違、并千寿院同■力ニ借預候、任一筆可催促之、若於難渋輩者、公方人以可有其沙汰候也、仍如件、
元亀三[壬申]年 二月三日
 家康(花押)
瀬戸岩松

→静岡県史資料編8 391「徳川家康判物」(藤波家旧蔵田畠沽券○神宮文庫所蔵)

 井伊谷において買い取った土地のこと。一、上都田只尾半名。一、下都田十兵衛半名(永地である)。一、赤佐次平衛門名の5分の1。一、九■衛門名。一、祝田十郎名。一、同じく又三平名3分の1。一、右近左近名。一、左近七半分。一、禰宜の敷銭地。一、瀬戸■右衛門名。あの名のことは、他者からの異議なく以前からのように計らうように。何かの訴訟で地頭が申し立てたとしても、一切許容してはならない。

 右の項目は、以前のように掌握し相違があってはなりません。同時に千寿院も同じく(与力に?)貸し預けます。書面のように催促するように。もし抵抗する輩がいたら、公方人の処置を仰ぐように。

於井伊谷所々買徳地之事
一上都田只尾半名 一下都田十郎兵衛半分[永地也、]
一赤佐次郎左衛門名五分二 一九郎右衛門名
一祝田十郎名 一同又三郎名三ケ一分
一右近左近名 一左近七半分
一禰宜敷銭地 瀬戸平右衛門名
已上
右、去丙寅年、惣谷徳政之義雖有訴訟、方久買得分者、次郎法師年寄誓句并主水佑一筆明鏡之上者、年来買得之名職同永地、任証文永不可有相違、然者今度新城取立之条、於根小屋蔵取立商買諸役可令免許者也、仍如件、
永禄十一[戊辰]年九月十四日
 上総介(花押)
瀬戸 方久

→戦国遺文 今川氏編2188「今川氏真判物」(浜松市北区細江町中川・瀬戸文書)

 井伊谷において買い取った土地のこと。一、上都田の只尾半名。一、下都田の十郎兵衛半分(これは永地である)。一、赤佐次郎左衛門名の五分の二。一、九郎右衛門名。一、祝田十郎名、一、同又三郎名3分の1。一、右近左近名、一左近七の半分。一、禰宜の敷銭地、瀬戸平右衛門名。以上。右は去る丙寅年に谷全体で徳政のことで訴訟があったとはいえ、方久が買い取った分は次郎法師と家老の誓紙、井伊主水佑の一筆で明瞭であるから、今まで買い取った名職・永地は、証文の通りに末永く相違がないように。ということでこの度新城を築造しているので、根小屋・蔵の建設を負担するので商売の税は免除する。