d椙山陣考

椙山陣考-8 再びの余録

最近になって知ったが、非常に趣旨の近しい論文が発表されていた。 「椙山之陣以来」にある「椙山之陣」は何を指すのか? ―竹井英文氏「その後の「杉山城問題」 」における批判に応える― 中西義昌・著 史学論叢第 44 号(別府 椙山陣考-8 再びの余録

椙山陣考-7 余録

結局何が言いたかったかというと。 「椙山之陣」について検討してきたが、まとめると以下のようになる。 ●「椙山之陣」の記載のある文書は類似文書の分布から改変された可能性が高い ●「椙山」の比定地は嵐山町以外にも複数存在しそ 椙山陣考-7 余録

椙山陣考-5 近世毛呂氏年表

毛呂氏の軌跡を追ってみる。 可能な限り追ってみたところ、3つの系統が見つかった。□は小浜藩に近代まで残った川越山田系(家譜は■で示す)、○は近世初頭に小浜藩に入り後に追放された忠衛門系、△は出羽国松山藩に入り左沢領代官を 椙山陣考-5 近世毛呂氏年表

椙山陣考-4 比定地候補

『椙山之陣』を嵐山町の杉山とする根拠は、竹井英文氏と斎藤慎一氏が言及している。 ■千葉史学51号「戦国前期東国の戦争と城郭-「杉山城問題」に寄せて-」(竹井英文) 「毛呂氏が本拠とする武蔵毛呂郷の地理的位置、高基と憲房と 椙山陣考-4 比定地候補

椙山陣考-3 年次比定

1)高基が発給したのはいつか。 代々の古河公方が発給してきた文書には「相守」をキーワードにしたものがいくつか残されていることを確認した。 では『椙山之陣』07号文書の発給はいつか。発給者の足利高基の状況を確認してみよう。 椙山陣考-3 年次比定

椙山陣考-2 『相守文書』

「椙山之陣」文書は、当初見慣れない書式だった。 私は今川・後北条の文書は少しばかり読んでいるが、古河公方については義氏のものを何通か解釈しただけである。それにつけても、懸案の文書は少し短過ぎて異常に感じられる。 椙山之陣 椙山陣考-2 『相守文書』