「簗瀬九郎左衛門尉殿 氏真」


今度当城堅固爾相踏、殊於両度遂一戦、為初奥平久兵衛尉・鱸九平次、随分者数多討取段、甚以感悦之至也、然者本知行・新知行、先判爾有之由申之条、任其儀訖、但新地之事者、敵地切出次第、可令所務、縦先判形爾雖無之、於抽軍功者、各別之地可扶助、家中者共敵地へ於相退者彼跡職知行、両人可相計之、随而鱸兵庫助以如何様之忠功、雖企訴訟、既両人従最前数度、忠節無比類之間、一切不可許容、守此旨、弥可抽忠信之状如件

永禄三 庚申 年

六月十六日

氏真 判

簗瀬九郎左衛門尉殿

→豊明市史 「簗瀬文書」

 今回はこの城を堅固に守備し、ことに2度にわたり合戦を行ない、奥平久兵衛尉、鱸九平次を初めとする多数の者を討ち取った。とても喜ばしいことである。よって、本領と新領については先の判決どおりに処理する。但し新領については、敵から奪ったものはそのまま自領として構わない。たとえ先の判決になかったとしても、戦功があった者には格別の土地を与える。家中にあって敵に寝返って退散した者の土地については、両人が相談して決めよ。鱸兵庫助がどのように忠義・功績があると言い立てても、既に両人の忠節は比べ物にならないほど優れている。だから一切受け付けない。このことを守り、いよいよ忠信に励むように。

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