7月19日(旧暦6月16日)は、氏真が簗瀬九郎左衛門尉に感状を発行している。
「今度当城堅固爾相踏、殊於両度遂一戦」と書いていることから当城がどこか不明だが、2度にわたって戦闘があった点が6月12日の鵜殿十郎三郎宛感状と同じことから、簗瀬九郎左衛門尉は大高に籠城していたものと思われる。鵜殿宛感状には「大高口」とあり、城より広い範囲を示すと思われる。鵜殿隊は城外で戦闘したのだろう。
城を守る簗瀬隊も直接戦闘を行なっていることから、大高城を巡って規模の大きい合戦があったと推測できる。
同感状で「家中者共敵地へ於相退者彼跡職知行」とあることから、簗瀬の家中で敵方へ出奔した者が複数存在したことも判る。