旧暦6月23日(7月26日)、武田晴信は穴山信友に書状を書き起こした。
そこでは「対氏真無等閑趣被申述、同氏真同意被聞届候者、早々御帰国簡要候」、つまり、氏真に対して粗略な扱いはしないと申し述べて、氏真が納得したので早々に帰国してほしい、という内容だ。既に駿府へ長逗留していることをねぎらってもいるので、晴信が信友に氏真説得を指示していたのだろう。
義元敗死から既に1ヶ月以上が経過している。信友が駿府にいたからこそ、晴信は岡部元信の近況なども知りえたのだと思うが、それにしてもこの長期間にわたる説得工作は何だったのかが気になる。
奇妙な密談書状もあるが、これが1560(永禄3)年から4年にかけてあったのだとすると、晴信は徳川独立を裏で援助していたことになる。あくまで確証のない話だが……。