7月11日は、旧暦でいうと6月8日となる。この日、義元が敗死した合戦に関わった岡部元信に宛てて、氏真が判物を発給している(今川氏真判物写)。
大高、沓掛が捨てられる中で、鳴海城を堅固に守ったと氏真は手離しで絶賛している。「このままでは通用がないので下知によって部隊を全員撤収させた」と書いているので、その前に氏真は状況を把握しており、鳴海城に撤退命令を下していることとなる。
ここまで来ると合戦の状況も明らかになっているようだが、まだ混乱も見られるようだ。元信が、刈谷の水野藤九郎を計略によって討ち取ったという誤報も混じっている(検証a19:岡部元信の刈谷攻撃はあったか)。可及的速やかに手段を講じていると思われる氏真政権でも、いまだ真相は把握しきれていない様子が伺える。
鳴海・大高・沓掛が全て落ちた一方で、岩崎方面・常滑方面の所在は不明だ。どちらもこの3城と直接運命をともにしたのではなさそうである。