一、岡崎退治之籌略をめくらすへく候也、この所下条弾正半途へ越、岡崎より使之者を招密談尤ニ候、若不審候ハゝ氏真よりの書状披見として、半途江差越へき旨、急度可被申越之事、

一、久々利江之俵子、先五百俵相移候哉、重而五百俵必可移候、人足者高遠より下飯田より上人夫にて、信濃境迄遣へく候、其より久々利へは苗左兄弟之領中より、人夫相催運送あるへき旨、兼而理へき事、

(後筆)「是ハ永禄六年、今川氏真と家康公御手切之時、氏真より信玄を頼調略之時、信玄自筆候ニ而、本書に宛所不見」

→戦国遺文 武田氏編「武田信玄判物写[軍役条目]」(東洋文庫所蔵「水月古鑑」五)

一、岡崎退治の策略を巡らしましょう。最近下条弾正を途中まで遣わし、岡崎からの使者を招いて密談するのがもっともです。もし不審な点があれば氏真からの書状を見るとして、途中へ届けさせるべき旨、取り急ぎ指示されるでしょう。
一、久々利への俵ですが、まず500俵が移送できましたか。さらに500俵を必ず移して下さい。人足は高遠から南、飯田より北の領地から徴発して、信濃国境まで派遣して下さい。久々利へは苗左(遠山氏)兄弟の領地内から人足を徴発して運送を行なうこと。こちらも覚えておいて下さい。

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