検証a26:三河給人の扱い2 松平親乗の場合
三河国の大給城に拠点を置いた大給松平氏が、今川氏にどのように扱われていたかを史料から考察する。まず、永正期に伊勢宗瑞指揮下、信濃国小笠原氏と共同で行なった遠江・三河遠征に関係するものを挙げる。 A:1516(永正13) …
三河国の大給城に拠点を置いた大給松平氏が、今川氏にどのように扱われていたかを史料から考察する。まず、永正期に伊勢宗瑞指揮下、信濃国小笠原氏と共同で行なった遠江・三河遠征に関係するものを挙げる。 A:1516(永正13) …
服属した三河国人を、今川氏がどのように扱ったを提示してみようと思う。牧野保成は、1546(天文15)年には今川氏に所属している。 1546(天文15)年10月16日 牧野保成条目写 所領の不入を今川氏奉行に認定してもら …
禁制 一 殺生事 一 山林伐取竹木事 一 於寺中并門前狼籍之事 右、於違犯之輩者、忽可被処厳科、仍如件、 天文十四年二月十五日 頭陀寺 →戦国遺文 今川氏編「某禁制」(頭陀寺文書) 『静岡県史料』第五輯によれば今川家のも …
(今川義元花押) 禁制 一 山林竹木伐取事 一 殺生其外致狼藉事 一 領主寄進之田畠等、他之綺違乱事 右、於違犯之輩者、所可処厳科如件、 天文十四[乙巳]年正月廿五日 静居院 →戦国遺文 今川氏編「今川義元禁制」(島 …
[印文「義元」I型] 遠江国万石之内六郎左衛門屋敷、先年信州衆相動時、彼屋敷足懸之間、従前々屋敷之内棟別免許云々、然者五間分停止諸役畢、自然之時者、相当之奉公可致之旨、可被申付者也、仍如件、 天文十三[甲辰] 二月十九日 …
名胡桃城を巡る古文書に出てくる地をマーキングしてみた。岩櫃は参考用に追記している。真田方の拠点として名胡桃が孤立している様子が窺える。中山城は1584(天正12)年段階で後北条方であったことは確実なので、岩櫃と名胡桃間 …
1590(天正18)年7月11日。北条氏政・氏照と松田憲秀の切腹をもって戦国大名後北条氏は滅亡する。この日をグレゴリオ暦に改めると今日、8月10日となる。前年11月24日の羽柴氏宣戦布告状発行から、実に223日間の激闘 …
書状具披見候、なくるミへ矢たけ之権現山取立儀、難成子細候、度ゝ模様不審ニ候、留守中ニ而、自元人衆も可為不足候、普請心易させて、真田者置間敷候、如何様之品ニ候哉、委細ニ成絵図、重而早ゝ可申越候、一段無心元候、謹言、 卯月廿 …
任幸便呈一翰候、抑今度中山地、其方兼而如演説、早ゝ落居、誠感悦不少候、此上沼田口吾妻表一途有之様ニ、御稼可為肝要候、将又任現来、一樽一種、進之候、恐々謹言、 「表 ○」 正月六日 氏政(花押) 一井斎 →小田原市史「伊佐 …
伝馬五疋可出候、鉢形へ被召寄まいゝゝニ被下、可除一里一銭者也、仍如件、 戊子[「常調」伝馬朱印] 十二月十八日 宗悦 奉之 小田原より 鉢形迄宿中 →小田原市史 史料編「北条家伝馬手形写」(相州文書 足柄下郡音曲舞大夫所 …