今川氏真、岡部五郎兵衛尉の鳴海城守備を讃え没収した知行の回復を保障する
駿・遠両国内知行勝間田并桐山・内田・北矢部内被官給恩分等事 右、今度於尾州一戦之砌、大高・沓掛両城雖相捨、鳴海堅固爾持詰段、甚以粉骨至也、雖然依無通用、得下知、城中人数無相違引取之条、忠功無比類、剰苅屋城以籌策、城主水野 …
駿・遠両国内知行勝間田并桐山・内田・北矢部内被官給恩分等事 右、今度於尾州一戦之砌、大高・沓掛両城雖相捨、鳴海堅固爾持詰段、甚以粉骨至也、雖然依無通用、得下知、城中人数無相違引取之条、忠功無比類、剰苅屋城以籌策、城主水野 …
旧恩分之事 於三州吉田之内田畠屋敷分共拾壱貫文地、古郷之内四貫七百貫文 此内弐貫参拾文者荒地開発忠節分也 、都合拾五貫七百文、如年来可令知行(但此内弐貫四百文者扶持銭従蔵前毎年可請取之)、 右、雖帯天沢寺殿判形、去庚申年 …
三河国渥美郡七根内小嶋村一ケ所、并綱次・高信両人仁宛行知行、遠州小池村之内五拾貫文之事、付 於彼両郷陣夫弐人之事、 右、彼小嶋村之事者、為切符弐拾貫文之改替、所被宛行也、然者去辛亥年増分令出来、都合五拾貫文令所務之云々、 …
『1/25000地図』(国土地理院)・『今川義元』(小和田哲男)・『豊明市史』(豊明市)より作成。赤い点が織田方拠点・青い点が今川方拠点。セナ薮は、口承による瀬名氏俊陣地跡。桶狭間山と呼ばれる丘陵はその北東(標高64.7 …
戦国時代は飢饉と略奪が凄まじかった。連続して襲い来る天災と飢饉の中で、生き残るためには無能な指導者を排除するしかなかった。それが下克上の真実の姿だ。 既存の停滞した世上を打破するためにとか、理想的な国家の在りようを探 …
サイトの趣旨は歴史研究、ディケンズは関係ない。ただ、「文豪ディケンズを扱ったBlogがない!」のが癪に障るので記事にしている。 [w]チャールズ・ディケンズ[/w] とはいえ、私が語れるのは全くもってミーハーな事柄だ …
戦国史上かなり華々しい戦でありながら、実は何も判っていないのが『桶狭間合戦』だと考えている。 川越夜戦や川中島、厳島、関が原などなど、戦国合戦は近年科学的なアプローチや史料精査によって劇的に解釈が進歩した。その一方で …