書状具披見候、なくるミへ矢たけ之権現山取立儀、難成子細候、度ゝ模様不審ニ候、留守中ニ而、自元人衆も可為不足候、普請心易させて、真田者置間敷候、如何様之品ニ候哉、委細ニ成絵図、重而早ゝ可申越候、一段無心元候、謹言、

卯月廿七日

氏政(花押)

猪俣能登守殿

→小田原市史 「北条氏政書状」(東京大学史料編纂室所蔵猪俣文書)

1587~1590(天正15~18)年に比定。

書状を詳しく拝見しました。名胡桃へ矢丈の権現山を築城する件。難しい状況にあるとの度々の報告、不審に思います。留守中なので元より兵員数も少ないでしょう。普請を安心して行なわせて、真田は置かないで下さい。どのような状況でしょうか。詳しく図面にして、重ねて早々に知らせて下さい。一段と心もとなく思っています。

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