名胡桃城を巡る古文書に出てくる地をマーキングしてみた。岩櫃は参考用に追記している。真田方の拠点として名胡桃が孤立している様子が窺える。中山城は1584(天正12)年段階で後北条方であったことは確実なので、岩櫃と名胡桃間は分断されている。

 北条氏政が猪俣邦憲に問い合わせた「権現山」については、赤根峠付近や権現峠付近も候補ではあるが、以下の点から名胡桃の1.4キロメートル南の独立2丘陵を検討している。

  • 名胡桃へ「矢丈」という、矢の届く距離が示されている。
  • 真田方は留守中で兵員数も少ないから構築作業も進捗するだろうと推測している。
  •  名胡桃へ至近距離から圧力をかけるのであれば、南の独立2丘陵はうってつけだと考えられる。但し、北側は狼煙台との伝承があり、名胡桃城内に取り込まれていた可能性が高い。となると、南側の無名の山が該当するか。近辺に権現山という伝承が残っていれば確実なので、引き続き調査したい。

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