後北条氏、小田原から沼田までの宿中に伝馬四疋を出させる
伝馬四疋可出之、中山ニ被下、可除一里一銭者也、仍如件、 己丑[「常調」伝馬朱印] 十二月廿六日 江雪 奉之 自小田原沼田迄 宿中 →小田原市史 史料編「北条家伝馬手形」(本間順治氏所蔵文書) 己丑は1589(天正17)年 …
伝馬四疋可出之、中山ニ被下、可除一里一銭者也、仍如件、 己丑[「常調」伝馬朱印] 十二月廿六日 江雪 奉之 自小田原沼田迄 宿中 →小田原市史 史料編「北条家伝馬手形」(本間順治氏所蔵文書) 己丑は1589(天正17)年 …
御札披見、本望候、抑今度之様子、案外至極候、已前以鈴木、氏直申達候キ、能ゝ初中後有御工夫、可然様ニ御取成専要候、何篇ニも氏直無表裏所、分明可被仰立事、年来之筋目此節候、悉皆貴老可有御指引候、恐々謹言、 十二月九日 氏政( …
従京都之御書付給候、并御添状具披見、内ゝ遂一雖可及貴答、還相似慮外候歟之間、先令閉口候、畢竟自最前之旨趣、貴老淵底御存之前、委細被仰候者、可為本懐候、猶罪之被糾実否候様所希候事、一両日以前以使申候キ、津田・冨田方へ申遣五 …
条目 老父上洛遅延由、御立腹ニテ、到沼津下向、一昨六日之御紙面、案外候、抑去夏妙音院・一鴎軒下向之刻、截流斎於罷上儀ハ勿論候、併当年者難成候、来春度之間可発足之由、条ゝ雖御理候、不可相叶旨、頻承候、公義ノ事、不及了簡、極 …
この日、7月30日(旧暦だと6月27日)をもって、5月19日から続いていた氏真の活動記録が一旦途切れる。 氏真は熊野大社に「於尾州不慮之儀出来、因茲遠路来書祝着候」(尾張国で不慮の事件が起きました。このことで遠路書状 …
旧暦6月23日(7月26日)、武田晴信は穴山信友に書状を書き起こした。 そこでは「対氏真無等閑趣被申述、同氏真同意被聞届候者、早々御帰国簡要候」、つまり、氏真に対して粗略な扱いはしないと申し述べて、氏真が納得したので早々 …
調子に乗ってアップし過ぎたせいか、これまで使ってきた『ppblog』が文字化け・検索不能という症状をきたすようになってきた。下書きを含めると、文字量の多いエントリー数が700を超える状況で、DB不使用は限界だったようだ。 …
7月19日(旧暦6月16日)は、氏真が簗瀬九郎左衛門尉に感状を発行している。 「今度当城堅固爾相踏、殊於両度遂一戦」と書いていることから当城がどこか不明だが、2度にわたって戦闘があった点が6月12日の鵜殿十郎三郎宛感 …
7月16日は旧暦6月13日。この日、空梅雨から一転、長雨が10月まで降り続く冷夏となる。これ以降は、暑苦しい日照りの風景ではなく、一日中雨に降り込められる情景に切り替わることとなる。 この日「抑今度以不慮之仕合、被失利大 …
7月15日(旧暦6月12日)に、氏真が鵜殿十郎三郎に感状を発行している。 その内容は「去年十一月十九日、去五月十九日於尾州大高口、両度合戦之時」となっていて、前年11月のことと併せて、5月大高口での戦功を賞している。 …