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不図思いついたことがあり、大変興味を持って頭の中で思考を進めていったのだが、これが予想外に惚れ惚れとする美しい仮説に育っていった。何れは1次史料と引き合わせて検証する必要があるだろうが、従来の私の史観を大きく変更する内容 …
不図思いついたことがあり、大変興味を持って頭の中で思考を進めていったのだが、これが予想外に惚れ惚れとする美しい仮説に育っていった。何れは1次史料と引き合わせて検証する必要があるだろうが、従来の私の史観を大きく変更する内容 …
彼書立之御人数十八人之分へ、為改替以新地如前々員数可出之筈、大肥与申合候上者、聊不可有相違、如此候也、仍如件、 三月十九 松蔵 家康(花押) 牟呂兵庫助殿 千賀与五兵衛殿 同衆中 →戦国遺文 今川氏編2032「松平家康 …
吉田城中取替兵粮之事 合参百俵者、 右、此内二百俵者、鵜殿休庵・大原弥左衛門、相残百俵者、隠岐越前守立合相調、城中入候間忠節至也、然者此返弁之番者、於望之地可申付者也、仍如件、 永禄八[乙丑]年 二月三日 牧野右馬之 …
『「城取り」の軍事学』(西股総生・学研)を読んで興味を持ったので、伊豆国鎌田城について検討してみたい。本書は現在の城郭論の到達点を判りやすく要約しており、また実地に基づいた考証は書架から離れない私のような文献中毒にはとて …
去酉年四月十二日岡崎逆心刻、自彼地人数宇利・吉田江相移之処、同五月廿日父平左衛門与重時并近藤石見守両三人、於三州最前令忠節、其以後飯尾豊前逆心之砌、遠・三忩劇之処、牛久保・長篠籠城刻、長篠江数度兵粮入置之、牛久保江数多人 …
尚々其方うたかい申事、神分ゝゝ無御座候、 御状談拝見申候、仍此地へ御越可有候、談合可申候、其方覧よく御入候由、祝着にて候、御出待入申候、恐々謹言、 八月廿一日 家康御書判 小坂井より 蔵人 豊後殿 返事 →戦国遺 …
山室恭子著・講談社学術文庫。結論から言うと、 絶対的な名著なので、時間があるならこのサイトを見るよりこの本を買うべき! である。ぜひご購読を。 私事ながら、このところ本業がずっと多忙を極めており、書店に顔を …
[懸紙ウハ書]「牧野右馬允殿 氏真」 今度戸田主水助別心、松平蔵人相動、所々致取出之処、被官人稲垣平右衛門尉馳走之由、喜悦候、此時弥忠信肝要候、本意之上可加扶助候、此趣可申聞候也、謹言、 五月十七日 氏真(花押影) 牧 …
『敗者の日本史10 小田原合戦と北条氏』(黒田基樹著・吉川弘文館2013)について、もう1点指摘する。 景勝は武田氏旧臣の遠山丹波守(もと右馬助、元来は北条氏家臣の小幡勘解由左衛門尉)に対して沼田在城を承認し、信濃八幡( …
就稲荷之地在城申付、八幡領一円預置候、昼夜走廻不可有油断者也、仍如件、 天正十二年 (上杉景勝朱印[立願 勝軍地蔵 摩利支天 飯縄明神]) 五月十七日 松田民部助殿 →上越市史2938「上杉景勝朱印状」(長野県松田孝弘氏 …