彼書立之御人数十八人之分へ、為改替以新地如前々員数可出之筈、大肥与申合候上者、聊不可有相違、如此候也、仍如件、
三月十九
松蔵 家康(花押)
牟呂兵庫助殿
千賀与五兵衛殿
同衆中
→戦国遺文 今川氏編2032「松平家康判物」(江崎祐八氏所蔵文書)
永禄8年に比定。
あの書き立ての方々18名の分へ、代替となる新地をもって員数を出す手はずを、大原肥前守と申し合わせた上は、些かの相違もあってはならず、この通りにして下さい。
彼書立之御人数十八人之分へ、為改替以新地如前々員数可出之筈、大肥与申合候上者、聊不可有相違、如此候也、仍如件、
三月十九
松蔵 家康(花押)
牟呂兵庫助殿
千賀与五兵衛殿
同衆中
→戦国遺文 今川氏編2032「松平家康判物」(江崎祐八氏所蔵文書)
永禄8年に比定。
あの書き立ての方々18名の分へ、代替となる新地をもって員数を出す手はずを、大原肥前守と申し合わせた上は、些かの相違もあってはならず、この通りにして下さい。