武田信虎視点での追放劇
武田氏に関しては知識がないため、同時代史料ではなく、予めまとめられた書籍を用いた(『武田穴山氏』・『戦国のコミュニケーション』・『戦国大名の日常生活』・『武田信玄と勝頼』・『武田信玄(ミネルヴァ)』)。推測の部分が溶け込 … 武田信虎視点での追放劇
武田氏に関しては知識がないため、同時代史料ではなく、予めまとめられた書籍を用いた(『武田穴山氏』・『戦国のコミュニケーション』・『戦国大名の日常生活』・『武田信玄と勝頼』・『武田信玄(ミネルヴァ)』)。推測の部分が溶け込 … 武田信虎視点での追放劇
今度於飯田口合戦之時、致太刀打抽軍中、頸一討捕之旨神妙ニ候、弥可励戦功之状如件、 永禄六年 十二月廿日 上総介(花押) 富士又八郎殿 →戦国遺文 今川氏編1947「今川氏真感状」(静岡県立中央図書館所蔵大宮司富士家文書 … 今川氏真、富士又八郎が飯田口合戦で戦功を挙げたことを賞す
去廿四日、於引間口孫妻河端一戦時、最前入馬雖為不始于今儀、蒙疵尽粉骨之段感悦之至也、并与力被官人等以高信見合、無比類走廻之条神妙也、弥可励忠功之状如件、 永禄七年 三月二日 上総介 大村弥兵衛殿 →戦国遺文 今川氏編1 … 今川氏真、大村高信が引間口孫妻河端で活躍したことを賞す
今川義元が珍しく感情を顕わにした書状を踏み込んで解釈したが、武田信虎の追放というのは個人的にずっと疑問だった。 よく目にした通説が「信虎の好戦的で酷薄な性格を嫌った国衆たちが、晴信を擁立した。度重なる戦争で疲弊した国衆と … 武田信虎に関する素朴な疑問 なぜ追放されたか?
去廿四日、引間口於孫妻河端一戦之時、拘置牢人同名刑部二郎、於鑓下弓仕之由神妙也、弥可走廻之旨可申状如件、 永禄七年 三月二日 上総介 大村弥兵衛殿 →戦国遺文 今川氏編1972「今川氏真感状写」(御家中諸士先祖書) … 今川氏真、大村高信方の牢人大村刑部二郎が引間口孫妻河端で活躍したことを賞す
去廿四日、於引間口孫妻河端一戦之時、於鑓下走廻弓仕之段神妙也、此旨被官桜田彦右衛門ニ可申聞之状如件、 永禄七年 三月二日 上総介 大村弥兵衛殿 →戦国遺文 今川氏編1975「今川氏真感状写」(御家中諸士先祖書) 去る … 今川氏真、大村高信の被官桜田彦右衛門が引間口孫妻河端で活躍したことを賞す
今川義元という人物は、感情を殆ど表わさない。これは、彼の文書を網羅して読んできて判ったことだ。他の大名だと文面にもう少し癖が出てくる。誠実さお人好しぶりが如実に出ている今川氏真や、かっとなって威圧的な文面を頻発させる北条 … 今川義元が苛立った珍しい書状
去十二日、三州御油口一戦之刻、走廻之段甚以感悦也、弥可抽軍忠之状如件、 永禄六[癸亥]年 六月五日 上総介(花押) 小笠原与左衛門尉殿 →戦国遺文 今川氏編1923「今川氏真感状」(小笠原文書) 去る12日、三河国御 … 今川氏真、小笠原与左衛門尉に、御油口での戦闘で活躍したことを賞す
今度三州過半錯乱、加茂郷給人等各致別心之処、財宝以下悉捨置云々、殊抽一身吉田エ相移令奉公段、甚以忠節也、然者陣夫一人并同名善四郎給拾貫文地、同三人扶持由雖申、各爾相尋随忠節之軽重遂糺明、重而可加扶助、并同名次郎兵衛抱来本 … 今川氏真、山本清介の忠節を褒め所領を与える
依田信蕃、遠江・駿河両国の軍勢が甲府に到着することを、柳沢宮内助に報ずるという文書について、収録した諸本(静岡県史・戦国遺文)では1563(永禄6)年と否定している。ところが、原文を読む限り不可解な点が多数あることに気づ … 解釈訂正:依田氏発行の文書 ~地域によって異なる暦の問題~